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2012年5月12日 (土)

無駄なもの

時代が変わってしまったのか、私の意識が化石化しているのか、何でいまさらスマホやタブに外付けキーボードが必要なんだろう?私から見れば、これほど不必要なもの、スマホやタブを持っている人には関係ないでしょう???ソフトウェア・キーボードで十分でないっすか?

私の場合、かつてPDAが脚光を浴びた時代、私は携帯とPCの中間的用途でデータ通信カードを挿して、メールや電子手帳として使用していた時期もありましたが、今ではその進化形としてアプリやゲームが増えただけのような印象しかありません。

なので、私は現在、スマホもタブも禁じ手として絶対に手を出さないようにしています。理由は簡単。画面が小さすぎて目が見えないからですわ。私の世代は「大きいことは良いことだ!」の世代なので、小さいモノには関心が薄いのです。小さければ、確かに持ち運びに便利でしょうが、逆に近視+乱視+老眼が促進されそうで、おいそれとは手が出ません。

携帯に関しては1995年より当時のデジタル最新型MOVAをゲットしましたが、音声通話がクリアになっただけのようなモノで、FOMAに切り替えた以降も短文メールや音声通話だけで事足りています。

タブPCにしても然りで、まだまだ発展途上の代物だと思います。2020年代になれば、もっとまともな代物がいっぱい出ているでしょうが、それまで私が生きている保証はないので、割り切ってPCとスマホ&タブ系の使い分けをきっちりしています。

PC=仕事の作業用、携帯=ただのメールつき電話(固定電話から転送しています)と定義しています。今のタブPCは中途半端なので、もし買うならMacBook Airを買うでしょう。

ていうか、結局は自分の好きなように改造可能な代物がほしいっす。この際だから、スマホやタブも自作可能にしてほしいっす。

車なら下手に改造すれば捕まりますが、こっち系は改造してスピード・オーバーしても検挙されないでしょう。

2012年4月22日 (日)

ドツボは続くよどこまでも...

自作PCの場合、いつも最新情報を入手しておかないと腕も鈍ります。昨日はPCが起動しなくなると言う最悪の事態に陥り、メモリかマザーボードの不具合かと考え、一日中悪戦苦闘していました。

中古品といえども、マザーボードはゲーマー向けのハイスペックな一品でしたし、メモリもPC-1333の4GB×3枚=12GBを新調したのです。

ところが、メモリが4×3=8GBしか認識されず、あれこれマザーボードの設定をいじっていたら突然バチッというショート音とともに、PC自体が起動しなくなってしまいましたcrying

これはメモリかマザーボードがお亡くなりになったものと一時覚悟しましたが、せっかく揃えたパーツをみすみす無駄にはできないという「もったいないお化け」に取り憑かれて、以前使用していたマザーボードで組み替えたり、今回購入したマザーボードに入れ替えてメモリの組み合わせを変えながら試してみました。

その結果、今回購入した中古パーツ群&メモリの蘇生に成功し、どうにかシステムの再生ができた次第です。

ただ、ソフトウェア的にはメモリは12GB搭載されていることが表示されているのに、ハードウェア的には相変わらず8GBのままですng

これでは納得がいかないので、さらに正常動作してくれるようにいじり倒すことにしました。これが自作PCの面白味でもあり、底なし沼でもあるのですshockまあ、道楽だから仕方ないか。

2012年4月18日 (水)

PCを修理したが…

先日の記事で書いたとおり、Windows自作マシンが壊れてしまったのですが、パーツの交換でどうにか修復には成功しました。

最新のアーキテクチャで自作すると、¥10万超えは確実なので、相性問題も考慮しつつ、CPU、マザーボード、グラフィックカードの中古3点セットで組み直してみました。

1)CPU:Intel Core i7 950(3.06Hz)
2)マザーボード:Asus Rampage iii Formula
3)グラフィックカード:Asus EnGTS250 DK

中古品といえども、これなら十分なスペックになります。

で、早速組み換え作業に取りかかりましたが、修復作業を急ぐ余り、自作では毎度お馴染みのセットアップ・ドツボにはまってしまいました。

まず、いきなりCPUの温度が90度Cにまで上昇。上限は60度C、通常使用では40度C以下なので、すわCPUがお亡くなりになる大ピンチに陥りました。自作は数年ぶりなので、すっかり忘れていたのですが、CPUとCPUクーラーの熱伝導効率を良くするために、CPUにシリコングリスを塗らないと温度を下げられないのです。

そこで、速攻でグリスとそれをCPUに塗るためのハケを買いに走りました。グリスを塗ったら効果てきめんで、一気にCPUの温度は30度C代にまで急降下。これで万事順調と思いきや、次のドツボにはまりました。

メモリを前マシンから流用して6GB分をマザーボードのスロットに挿したのですが、2GBしか認識せず、メモリの挿入スロットをいじり倒していたら、一端6GB と表示されたものの、ビシッとショート音が聞こえて、システムがダウンしました。

DDR3 PC-1333 1GBの6枚挿しだったのですが、永久保証のはずのメモリも2枚分お亡くなりになり、悪戦苦闘の結果、4GBまで認識するようになってくれました。今時、メモリ4GBではショボ過ぎるので、これも4GB×3枚挿しにするように決めました。

そういうわけで、最近の自作PCは中古でも高くつくことを思い知らされた次第です。だからといって、PC自作の趣味を止めるつもりは更々なく、いくらドツボにはまろうが懲りることなく、オンリー・ワンの「マイ・コンピュータ」の製作に勤しむ覚悟です。

2012年4月14日 (土)

PCが壊れた

唯一のWindows自作マシンが、先日ブルースクリーン連発となって、遂に起動しなくなりましたsad

基本的に私はMacユーザですので、Windows自作マシンがぶっ壊れても、通常業務に支障はありませんが、時が悪く重要な書類をWindows自作マシンで書いて保存していたのです。

この書類だけでも何とかサルベージしたく思い、Macで色々復旧の手立てを検索して、延べ24時間後、Windows自作マシンの復旧に成功しました。pass ハードウェアの劣化もあることが判明したので、3年以上前のX-58システムで、初代のCorei7シリーズにマッチした組み合わせを選択しました。

インテルMacでもWindowsはネイティブで動きますが、昔からの習慣で自作へのこだわりがあったのが、今回のトラブルのもとになったようです。

今では自作PCの方がメーカー品よりも高くつくので、決して自作マニアの方にはお薦めしませんが、とりあえずこれまでの経験値から判断して、CPU+マザーボード+グラフィックカードの3点セットは、「中古特売」で取り寄せて、組み替えることにしました。

最新のチップセットでもいいのですが、合計の値段が段違いなので、「九十九神」のついているパーツで当面しのぎたいと思っています。

そりゃ、処理速度が速いに越したことはないですが、私の用途はメールチェック、文書作成、DVD編集に特化しているので、最新技術が枯れた頃に衣替えしたいと考えています。

2012年4月 8日 (日)

バタバタしています

4月に入り急に仕事関係で慌ただしくなり、バタバタしています。書類、本の原稿、講義ノート、書くことに忙殺されているような状況で、ブログ更新も滞っているような次第です。

さらに某大学から、今度は「産業心理学」の講義依頼も来て、この分野は自分の本来の専門領域なので、専門を生かせる内容の授業ができそうです。

まあ、何もすることがないよりは、生産的な仕事ばかり入ってきているので、これも有り難きことかなと思っていますけどねfull

ということで、ブログ更新は不定期になっていますが、何か個人的に興味深いことでもあれば、お気楽に暇な時間を見つけて書くことにします。今は目の前の仕事に集中することが優先的なことですので。

2012年4月 1日 (日)

家に帰ろう

メタルの方は陰陽座で満腹になったので、今度はJ-POPに戻ります。

出雲大社のほぼ真向かいに「竹野屋旅館」があります。以前、代参の仕事で宿泊したことがありますが、ここは竹内まりやの実家でもあります。旅館内にはグッズ売り場もありました。

彼女には多くのヒット曲がありますが、私のお気に入りは「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」です。歌詞はこちら

私は100歳まで生きられませんが、我が家をもつことができただけでも本望です。また、この曲を通して一女性の本音というか、女性心理を知ることができるので気に入っている次第です。当然、カラオケのレパートリーの一曲になっています。sweat01

私は一家団欒の経験に乏しい人間ですし、家族の絆というものを実感できていません。そういう私に皮肉なことに、某大学から「家族心理学」の講義依頼がありました。改めて勉強中ですが、自分の過去の体験も踏まえつつ、本音トークのできるような授業が展開できればいいなと思っています。

とりあえず、生きた知識を伝え、将来家族をもつであろう学生たちの心に響く内容を目ざして頑張ります。少子高齢化社会での家族の意義について当分勉強します。punch

2012年3月31日 (土)

陰陽座を観てきた

昨日はジャパ・メタの雄「陰陽座」のライブを観てきました。

第一部は最新作「組曲 鬼子母神」の完全再現。途中休憩をはさんで、第二部は陰陽座の定番曲のパワー全開。客のアンコールに応えて、3回もアンコールをしてくれました。実に3時間超えの長丁場でしたが、やはり地元での生ものを観るのは格別の想いでした。

今回のライブは、このバンドのメンバーの中心人物の出身地である愛媛県八幡浜市での地元ライブ。メンバーの中には安倍晴明の子孫もいたりして、異様な「殺気」を感じました。

椅子指定席にもかかわらず、最初から全員総立ちでノリノリのライブでした。結局、椅子など要らないということです。式神(ファン)は最初から全員総立ちで、私もどうにかついていきましたが、さすがにメタルのライブでは全身運動になり、首の振りすぎ、手足の有酸素運動もあり、普段使っていない筋肉も鍛えられて、身体がやばい状態です。

私は陰陽座のファンクラブ(式神倶楽部)に所属しているので、ちょうど見やすい4列目の通路側で彼らのパフォーマンスをじっくりと観ることができましたが、洋楽メタルとはひと味違う構成でした。

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所どころ、音ブレや声ブレも認められましたが、さすが地元でのライブとあって気合い度が段違いで、聴衆とバンドとの一体感もあり、バンドと客との掛け合いも見事で、とても楽しめたライブでした。

ジャパ・メタではこのバンドが一番でしょう。MCも面白かった(笑えた)し、もっと高く評価されてもいいバンドだと思います。

基本的には私は洋楽志向ですが、一切英語を使わず、日本の古語・漢語を多用しながら、まるで演劇を観ているような感覚も覚えました。スモークや照明の使い方など演出も凝っていました。

百聞は一見にしかず。まだまだ全国ツアーは続きますし、この夏には新たな全国ツアーも組まれているので、やはり生を観るのがいいですよ。appli02

メタルというと重低音が響き渡りうるさいというイメージがありますが、彼らの出す音魂はメロディック・メタルあり、バラードあり、スラッシュあり、アコースティックあり、ポップ感覚の曲もあり、変幻自在です。欧米のメタルとはまた違う感覚を覚えました。洋楽系の半値以下でライブを堪能できるのもメリットですよ。

現在もツアーは続いているので、ネタばらしはここまで。ただ、「ゆめみかん」は彼らのライブが最後で閉館予定、地方ならではの悲哀も感じました。

ちなみに最新アルバムは、ブログの左帯下の「お薦めCD」の欄にアップしていますので、興味のある方はポチッとして見て下さい。

2012年3月30日 (金)

2012年人類滅亡説

まずは、wikiの解説を読んでください。一見するとトンデモな説ですが、100%嘘っぱちというわけでもないだろうと私は予測しています。ただし、一部ネオスピ信者の言う「アセンションの年」という主張には私は否定的です。

 

私はこの解説の中の「長期暦の現サイクルの始点である紀元前3114年には世界はおろかメソアメリカですら何らかの大規模な天災地変の痕跡を見出すことはできないため、この年代は歴史的な理由というよりも神話上の起源として想定されたものであると考えられている」という点について、古気象学の最新の知見によれば、少なくともこの時代に南北アメリカ大陸で大規模な「寒冷化」が発生したことが証明されています。wikiの解説ともいえども決して鵜呑みにはしていけないと思います。

 

ドイツのハンブルグ博物館には、このマヤ長期歴の最後の1ページに関する記述が現存しています。それによれば、マヤ長期歴の第五期の終焉とされる2012年の冬至の日に、大規模な気象異変が発生して、まさに天と地がひっくり返るような災厄が発生して、人類は6回目の歴史の転換点に直面することが預言されているのです。

 

「歴史は繰り返される」というのが、マヤ文明での根本思想であることは疑いの余地はありません。

 

マヤ考古学の最新知見によれば、マヤ文明はスペイン人の持ち込んだ疫病で絶滅したのではなく、スペイン人が到来する400年前には衰退していました。その原因は、急激な人口増加による食糧危機、焼き畑農耕や石膏を作るために大量の森林伐採をしたこと、気象異変に伴って疫病や不作が続き、その災いから逃れるために大量の生け贄から心臓を取り出して太陽神に捧げ、死体を貯水池に放り込んだ事による水質汚染、食糧不足による戦禍の拡大などの要因により都市国家を維持できなくなったことが要因としてあげられています。

 

ちなみに、最新のマヤ考古学の知見によれば、冬至の日に「マヤ式フットボール」の宗教儀式が執り行われていました。これは現代フットボールの「絶対に負けられない戦い」を凌ぐ凄惨なゲームであり、2チームが冬至の日の夜明けにキックオフでゲームは始まりました。

 

いずれかのチームが先に競技場の左右脇に設置されている「輪の形をしたゴール」にボールを通過させたら、サドンデスで勝敗が決まり、勝者は英雄とされ、敗者のキャプテンはその場で首を切られ、その血の飛沫と共に首を神への生け贄にされたという過酷なルールです。(キックは膝のみ、相当な精度でゴールしなければいけない)。

 

例えるならば、1993年の日本で言う「ドーハの悲劇」で、イラクが負けたらチームがサダム・フセインによる「処刑」覚悟で試合に臨んだのと同じようなものです。

 

それほどに、マヤ文明は神権政治が徹底しており、精密な天体観測技術や暦を重視しながら、民族の命運をかけた末に「滅びへの道」を辿っていったわけです。

 

このマヤ長期歴が正しいとするなら、日本では20121222日が現生人類第5期の終末を迎え、地球規模での異変が発生して、サバイバルできる第6期の「新人類」だけが一からやり直しの宿命を背負うことになることになります。

 

ただ、心してほしいことは、マヤ文明が人為的原因から滅びのプロセスを辿ったのと同じように、私たち現生人類も自らの行いによって神なる自然、地球から怒りを買うという点で一致しているという不気味さなのです。ただし、私が神の怒りと言っているのは、人類の天に向かって唾するような行い、慢心による反動という意味です。

 

これは単なる神話の問題ではなく、今まさに私たちが行っていることに対する科学的裏づけのある「滅びのプロセス」のシミュレーションとして受けとめていただければと思います。

2012年3月29日 (木)

サイコメトリーによる卑弥呼の言葉

引き続き、ある人物が卑弥呼の残留思念と交信したときの記録をアップします。これをどうとらえるかは、読者の自由です。

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卑弥呼の残留思念との交信記録


・邪馬台国の女王として私が擁立されたことは事実である。私が生きていた時代の情況は、部族間の抗争が絶えることがなく、部族内でも内紛が後を絶たないとても不安定な時代だった。


・私の祖先たちは、中国から北九州に上陸した部族であり、いつも天を仰ぎ見て、日の神を崇拝する部族だった。九州に上陸後、しばらくの間すでに九州に渡来していた部族との抗争や政略結婚など、懐柔したり、戦ったりしながら、次第に勢力を伸ばしていった。


・九州南部には私たちとは全く異なる強大な部族もいたが、懐柔政策によって九州地方を平定した。


・次なる目的地は河内から大和にかけての地であった。彼の地にはすでに私たちより先に先住民(おそらく縄文人)を制圧した部族たちがいて、群雄割拠の状態だった。


私の祖先は河内に水路で上陸し、大和の部族たちと戦闘状態に入ることもあれば、柔軟な対応をして、部族国家と協定を結びながら、不安定ながらも河内と大和を平定することができた。しかし、いつ協定が崩れるか分からない状態で、心の平安を得ることは難しかった。


・大和の最大の敵は、出雲国であった。大和と出雲は再三にわたり戦争をしたが、出雲国の部族は強大な勢力を誇っており、結果倒すことができなかった。


・そこで、大和と出雲は互いの利害関係を調整すべく、連合王国を形成した。それぞれに多大な被害が出ており、戦争が長引くことを回避するためである。


・大和勢力と出雲勢力が協議を行い、和解の手段として連合国家を作ることになった。さもなくば、外国からの侵略の恐れもあり、国が一丸となって自らを守らなければ、共倒れになるからである。それが中国で邪馬台国と呼ばれた倭の国の成立である。


・邪馬台国には「本館」と「別館」があった。本館は大和、別館は出雲であり、2つの首都をもうけた。それぞれの国に神殿や宮殿も築いた。私は女王になってから、大和と出雲を常に往来していた。出雲には大きく高い神殿があり、そこで私も祭祀、政を行ったこともある。祖先が最初に上陸した北九州にも拠点があり、私はいつも人に知られないように各拠点を移動しながら政を行った。


・私は非常に用心深い人物だった。滅多に人と会うようなことはなく、どうしても要人と会わなければならないときには顔も隠して謁見した。


・自分の所在については外敵にはもちろん、内敵にも知られないようにするため、あちらこちらにカモフラージュのための宮殿、銅鏡を作らせて所在を隠した。私には誰も信用する相手がおらず、いつも孤独だった。


・私は自分の存在を後世にも知られないように計算して工作を行っている。あちらこちらに、私に結びつく宝物や鏡を分け、ばらまいておけば、実際どこにいたかは分からないようになる。


・(考古学者は巻向遺跡こそ邪馬台国の首都であり、卑弥呼はそこにいたと考えるようになっているがとの問いに)わざと造らせて置いて、そこに居住することがなかった仮住まいもある。私は邪馬台国の連合王国の長でもあったから、あちらこちらに移動しており、どこを主に活動したかは後世の人には永久に分からないであろう。


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話は変わって、、、


*日ユ同祖論について


・失われた10部族は日本に到来していない。お前の言うユダヤがどこにあるかさえ知らぬ。渡来人は中国と朝鮮半島から何度にも渡って流れてきたのだ。そして、この国に先に住んでいた人々と交わり、交流し、ときには戦争もしながら国産み、国作りをしてきた。後世の神話に注目するがよい。私たちの部族を中心に編まれた書物であるが、出雲のスサノオを祖先とする部族は強大だったから、アマテラスとスサノオの神話が語り継がれたのだ。


・(宇佐八幡宮には古代ユダヤ教の影響があるといわれているがとの問いに)何度も聞くでない。ユダヤの教えなど知らぬ。ユダヤという言葉も知らぬ。宇佐には中国の民が住み着いておった。ただ、それだけだ。


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サイコメトリーの時には、霊能者がフォーカスした人物の残留思念との交信が始まるが、言葉はその時代、その国の言葉として聞こえる。しかし、「思念」同士のテレパシー的なコミュニケーションも生じるため、互いの意思の疎通が可能となるのである。

2012年3月28日 (水)

サイコメトリーによる釈尊の教え

私どもはサイコメトリーによって、太古の昔の様子を調べている人々を知っています。以下に示すのは、釈尊の残留思念と交信した人物から受け取ったメッセージです。例によって、信じる信じないは、読者の判断にお任せします。

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釈迦の教え


・私は王家の身分を捨て、修行者となった。社会の底辺で暮らすことで、この世界、宇宙に関する真理を見つめることができた。私が生きていた時代には、少なくとも4つのカーストが存在していた。


・人間の心の中には内在する善と悪が必ず存在する。仏と悪魔である。


・私たちは内在する仏からは決して逃れられない。それは心の中に存在するものだからだ。どこへ逃げようが、身を隠そうが、仏はいつも個人のカルマを見ている。


・仏は1つしかないと、私は説いた。仏とは光なり。この宇宙の始原のときの光こそが仏の本質である。しかし、後世になって、諸仏の偶像が作られるようになった。仏とは姿、形なきものである。ただ、生きとし生けるものに降り注ぐ光であって、人の場合には心の中にあり、同時にこの世界にも遍満しているものである。


・自己努力により、自分の中の悪を浄化し、徳を積むことを私は説いた。自己浄化を怠れば、人間はたちまち悪魔の誘惑に駆られ、悪しきカルマを作ってしまう。


・私は弟子たちに苦行を禁止した。苦行を積まなくても、誰しもが仏の境地に近づくことができることを悟ったからである。


・仏に近づく道とはたゆむことのない内省と反省心の連続であると私は説いた。


・「生きていて良かった」と感じる瞬間こそが悟りであると私は説いた。瞬間的であれ、誰もが至高の境地に達することができる。衆生にも修行者にも悟りの瞬間は訪れる。それを維持することができるならば、「覺者」としての道が開けてくる。


・輪廻転生を説いたのは事実である。


・自業自得、因果応報の法則を説いたのも事実である。自分の行い、言葉、思念はすべて自分に返ってくる。良きカルマを積めば、良き来世が約束され、悪しきカルマを積めば、地獄の苦しみを味わうような来世が待ち受けている。


・人間には思考力が授けられている。自分の思考、心がけ、自己努力によって1なる仏に近づくことはできる。しかし、人間は完全に仏になることはないと説いた。


・私の教えは、弟子たちに伝えたが、その後様々な教えに解釈され、仏は1つという根本的な教えが受け継がれることはなくなった。


・現代に伝わる仏教は、私の真意を正しく伝えてはいない。宗旨、宗派がいくつにも分かれてしまい、各々がそれぞれに勝手な解釈を加えていることを、私は極めて遺憾に感ずる。

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注.初期仏教については以下のURLを参照のこと。


http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%9D%E6%9C%9F%E4%BB%8F%E6%95%99&oldid=29866852


ここに「釈迦の基本思想は縁起又は因縁、四諦、八正道などである」との記述があるが、釈迦が直接説いたのは因縁、業(カルマ)、四諦の中でも

1)「集諦:現世の苦は迷いになる業が集まって原因となっている真理」

2)「滅諦:迷いを絶ち尽くした永遠で平和な境地が理想であるという真理」

3)「八正道の中でも正精進を特に強調した」ものと考えられる。


*後世になって付け加えられた概念がほとんどであり、本来の釈迦の教えそのものは非常にシンプルなものだった。


*サイコメトリーの結果は、意外にも釈迦の教えが「一神教」的な性格を帯びていたことである。姿形なきものを民衆に伝えるために、諸仏の偶像が次々に作られていったことになる。また、そうしなければ、民衆に理解されにくかったのであろう。

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