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2012年1月30日 (月)

ステレオタイプの弊害

この所の寒波到来で豪雪被害、インフルエンザの流行などが拡大していますが、みなさんは息災で過ごされていますでしょうか?私は風邪1つ引く事もなく元気で過ごしております。

早速、本題に入ります。

まず心理学的観点からステレオタイプ(先入観)について述べましょう。私たちは、ある人物の容貌、服装などの外見的特徴や、年齢、性別、職業、家族構成および血液型などのカテゴリによって相手を分類し、その分類結果に沿ってあてはまる人々に共通の性格(特性) を推測しようとする傾向を持っています。これをステレオタイプ的認知と呼びます。

わが国では「血液型ステレオタイプ」がよく知られています。たとえば、A型人間はこのような性格だ、B型人間はこのような特徴があるといったものがそれです。従来の研究によれば、ABO式の血液型と客観的な性格テストとの間には、何らの関係もない事が証明されています。また、血液型占いなどについてよく知ってる人ほど、血液型に関する情報だけで相手の性格を見抜く事ができると信じていることも検証されています。

それにもかかわらず、私たちの社会では事実とはかけ離れたステレオタイプに固執して、相手の事を知った気になってしまう人がいる事も否めません。相手の事を熟知するためには、本人と直接会い、一定期間コミュニケーションを取り合いながら、徐々に相手の内面が分かってくるものです。それを怠り、表面的な情報だけで相手の性質を断定してしまうと、ステレオタイプがさらに強化され、やがて偏見や差別につながる危険性があります。

というのも、一度ステレオタイプを当てはめて相手を分類してしまうと、そのステレオタイプに一致した情報だけを見てしまい、記憶に刻まれやすい事が分かっているからです。そうなると、ステレオタイプに一致しない情報は無視されたり、記憶されにくくなり、ますます相手のイメージが固定化されてしまうことも、従来の研究から分かっています。

私の場合でも、これまでに様々なマスメディアに出ており、その度に私の肩書き情報が紹介されて、固定したイメージを持っている人もいるようですね。

たとえば、2003年に出版した「呪いの研究」では、終章の「呪いから癒しへ」が一番重要なメッセージを込めて書いているのですが、別に呪いの方法について強調しているわけではありませんし、その技法の具体例については「仮想事例」(複数のケースを集約したもの)として書いているだけです。それは私が実践しているものではありません。

また、私には「稲荷行者」というステレオタイプも付きまとっているようですが、2007年に公刊した「21世紀の祓い」にも少し紹介したとおり、私は稲荷信仰だけではなく、対馬での体験から海神(龍神)信仰と融合させています。

現在では四国陰陽道に関する勉強もしており、かつての作法とは異なる独自の祭祀を学んでいます。

以前のブログで1年間のブランクをもったのも、私なりのオリジナルな祭祀を確立させるためにネットとは距離を置いたというのが真相です。現在の祭祀は極秘につき公開できないというのが残念ですが、以前の私と今の私は別人です。そのことを一番よく知っているのは、私と直接面識のある方だけです。

現在の私は面識のある方としか交流していません。仕事にしても口コミだけで、ネットでは一切の相談は受け付けていません。

このブログにしても、私の趣味や関心事を中心に記事を書いている次第です。神仏事に関する最新情報を公開する事は厳に禁止されているので、公開できないことをご容赦ください。

1つだけ言わせていただくなら、過去のブログで「心霊戦」と呼んだ事象についても、あくまでもプロが相手であり、素人さんを無差別攻撃するような事はありませんでした。現在ではもはや誰とも闘う事もなく、神仏の道理に一任している次第です。もし、この件について誤解があったならば、この場を借りて謝罪いたします。今では何人に対しても攻撃を加える事はありません。いつも言っているように「専守防衛」だけです。

今回は、私を例にとってステレオタイプについて述べましたが、何か私の所業についてご意見などありましたら、直接お会いして、対面的な状況でお話しさせていただきたいと思います。ネットでは伝わりにくい事もありますし、私自身、ネットでの行動は最低限に控えているからです。
 

2012年1月13日 (金)

遅ればせながら

新年のご祝詞を申し上げます。

年末年始の「行」も一段落がつき、2012年を新たな気持ちに転換して迎える事もできました。
皆さまにおかれましても、本年が希望と幸にあふれた一年になる事を心より祈念しております。

昨年は天変地異や原発事故などの国難に直面した私たちですが、人間同士の絆の重要性を改めて実感させられた年でもありました。一方で、神仏が与えられた試練の年でもあったとも感じております。

しかし、依然として私たち日本人には克服していかなければいけない課題もあると思います。この混沌とした時代にあって、私たちはいかに生きていくべきかを真剣に考えていけなくてはいけない時期にさしかかったと私は思います。

個人的なレベルでできることはささやかな事ではありますが、私たちが同じ志を持って対処していけば、集合的な意識を一にすれば必ずや国難を乗り越える事はできると信じて疑う事のない次第です。

目先の出来事に眼を奪われる事のないように、一日一日を一生懸命に生き抜いていくこと、与えられた命を粗末にせずに日々の行いを正していく覚悟が私たちには問われているのではないでしょうか?

昨今の出来事を見ても、相も変わらず私利私欲や自己保身に囚われている人々もいます。でも、私は今日一日いのちがある事の有難味を実感しながら残された人生を送っていく所存です。

18世紀のフランスの思想家、ジャン・ジャック・ルソーの『自然に帰れ、自然の中の人間こそ真の姿である。』という言葉をモットーにして、日本人にできる限りの取り組みに邁進される事に私は一縷の望みを抱いています。

それでは、本年もよろしくお願い申し上げます。

2011年12月26日 (月)

年末年始モード

来年度、契約予定の複数の大学の文書作成も終わり、今年も残すところあとわずかです。

が、祈祷関係の仕事も詰まっていて、私は年末年始は「行」もやるので、しばらくの間そちらの方に専念します。あれもこれも同時にできないので、ブログ更新はしばらくできないと思います。

今年は大震災、原発事故をはじめ国難の年でしたが、世界的にも激動の一年だったと思います。今後も様々な事象が発生することでしょうが、強い信念を持って心が折れないように対処していく心構えがあるならば、必ず苦難は乗り越えられると思います。

それでは、みなさん、よいお年をお迎えください。

2011年12月23日 (金)

KEANEのクリスマスソング

私はU.K.のピアノ・ロックバンド、KeanのFCに入っていて、最新情報を入手しています。

先日、トム・チャップリンがサンタクロースに扮した珠玉の一曲の動画が届きましたので、見られるるかどうかは分かりませんが動画をアップしておきます。"Somewhere Only We Know"のクリスマス・バージョンです。 ユーザネームとパスパワードを入力すれば必ず見られるはずです。

ちゃんと見られない場合は、こちらをどうぞ。日本語歌詞歌詞はこちらを参照してください。

2年前に大阪で彼らのライブを観ましたが、CDとまったく同じ音を出しており、それ以上の臨場感にあふれたライブでした。声も音も全くぶれないのは本当のプロですね。ok

2011年12月20日 (火)

金正日 死去

昨日はこのニュースでどの報道番組も埋め尽くされていたので、みなさんも周知のことでしょうが、私は冷静にこの事実を受け止め、各種情報源を照合しながら「これは終わりではなく始まりだ」と感じました。

朝鮮中央TVの名物アナがこの最近出てこなくって、何かあったのではないかという憶測も飛び交っていましたが、こういう形でいつもの喧嘩口調ではなく、「泣き女スタイル」で登場したのには驚きましたが。

北朝鮮がこの世界の中で置かれている状況は、国際社会からの孤立化、一部の特権階級による富の独占、経済の破綻、大多数の飢餓と貧困に苦しむ人々、マスメディアによるニュース・コントロール、そして我が国との関係(拉致問題や核開発問題など)などが連想されます。

この独裁国家の体質から考えてみても、今後の東アジア情勢に光がさしたとは私は思いません。なぜなら、以前日本の国営放送で北朝鮮という国がどのようにして建国され、朝鮮戦争を経て、どのような政策をとってきたかについて知ったこともあり、その他別ルートで「裏情報」にも聞き及んでいるためです。

拉致問題一つを挙げてみても、これがチャンスだという見通しは甘いんじゃないかと思います。次期後継者とされるキム・ジョンウンはまだ若いし、むしろ彼の後見人の動きや、軍部の動向にも目は離せないでしょう。拉致問題は解決済みという姿勢をあくまでも崩さない可能性も否定できませんね。(拉致被害者で彼の国の工作員活動や裏事情を知ってしまったり、それに関わった人たちは、日本に帰国させることが困難でしょうし。)

今後、彼の国がどのような行動に出てくるのかについて、冷静に分析する必要があると考えます。果たして、従来の強硬姿勢(瀬戸際外交)を貫くのか、懐柔できそうな態度に転換するのか?

それにしても、日本政府の情報収集能力の弱さには呆れました。この国の危機管理能力の弱点、一国の総理大臣が慌てふためいて急遽街頭演説を取りやめたとか、危なっかしくて見てられないですね。相変わらず米国頼みなんですかね?太平洋戦争時と情報戦では何の進歩もないのですか?

金正日が亡くなっても、彼の国の培った体制が崩壊しない限り、残念ながら何も変わらないか、事態がより悪化する可能性もあります。単純に喜んでいる場合じゃないと思います。それではビン・ラディン殺害で歓喜した米国やカダフィ殺害で喜んだ民兵たちと同じ意識レベルですよ。

今後、火の粉が日本に降りかからないように今は祈る思いです。これも時代の大きな転換点の1つでしょうが、吉と出るか凶と出るかは何とも言えません。

2011年12月12日 (月)

国民総幸福量(GNH)

国家の豊かさを量る指標の1つに国内総生産(GDP)があります。日本はこの基準で量ると米国、中国に次いで世界第3位です。物質的、経済的豊かさは中国に追い抜かれたものの、以前として「豊かな国」であることは間違いないでしょう。

これに対して、精神的な豊かさを量る指標もあります。それが国民総幸福量(GNH)です。仏教国のブータンが提唱した概念ですが、そこに心理的な基準が取り込まれていることに私は注目しています。

内閣府の統計によれば、GDPと幸福度とは必ずしも相関していません。
Wellbeing

先進諸国と言えども、わが国は決して「精神的な豊かさ」を感じている人々が多くはないのです。だからといって、何を幸福と感じるかに関しては個人の主観の問題も関わってきます。この点については私のHPのここをご覧下さい。

心理学的な視点から言えば、何を幸福と感じるかは個人差が多く、その人がおかれている生活環境によって大きく異なります。

しかし、自己実現への欲求、自己超越への欲求も「精神的な豊かさ」を探求する道筋の1つであるというのが、心理学的見解の1つです。

そこにはスピを追求することによって得られる豊かさも含まれると思います。

先日の記事で、私はエコとスピは違うと述べました。エコを論じる場の1つであるCOP17京都議定書の先送りが事実上決まり、新しい枠組みを構築する方向になったことを、私は注視します。

温室効果ガスを排出し続けるワースト3の国(米国、中国、印度)が反対またはそっぽを向いているからです。あくまでも物質的、経済的豊かさと大量消費文化を追求する国がある限り、人類の精神的豊かさは実現不能だと私は考えます。

このままでは人類は「滅びへの道」を辿っていくことでしょう。しかし、この星から見れば天然資源をむさぼり食う人類こそ最大の「天敵」なのでしょう。

みなさんはGDPとGNPのどちらを選択するでしょうか?その選択の猶予期間は決して長くはないと思います。

2011年12月11日 (日)

古代人の食生活から

私の子どもの頃の食事は、質素なものでした。今でも覚えているのは母の作った野菜スープ、それに豚肉や牛肉の細切れが入るとカレー・ライスでした。米はまだ配給制で、決しておいしいものとは言えない代物でした。米穀通帳により管理されていて、2日目には臭みのある冷やご飯で食欲を満たす日々でした。ご飯って炊きたてはおいしいけど、お櫃に入れて2日目になると臭いが酷く、その臭みが今でも記憶に残っています。

父がうどん好きだったので、日曜日の昼食は必ずといっていいほどうどんを食べていました。

学校給食では、鯨の竜田揚げが御馳走だった時代です。当初、学校では、脱脂粉乳のミルクとコッペパンの記憶が中心で、小学校の学年が上がるにつれ焼きそばなどの御馳走も出るようになりましたが、ミルクは脱脂粉乳から臭みのある瓶詰め牛乳に変わり、その牛乳の紙蓋を取っては、クラスメイトと「ペッタン」遊びをしていたのが思い出されます。

卵焼きやゆで卵も滅多にお目にかかれない貴重品でした。穀物(麦ご飯)に、青魚、一汁一菜で育ったようなものです。チリメンジャコをご飯に振りかけて食べると、米の臭みもなくあっさりしておいしかったです。お茶漬けも満腹感を得るのに最善の選択肢の1つでした。

時は変わって現代。欧米化した食物は身体が受け付けなくなり、たまにしか食べません。豆類を多く摂るようになりましたが、信仰上の理由から四つ足動物(牛、豚など)を断つ時間も増えています。ただし、鳥などの動物は食しても構わないとのことで、肉食を止めたわけではありません。

要はバランスの問題ではないかと私は思います。

たとえば、縄文・弥生時代の食生活はバランスが取れていたように思います。さらに、万葉集の時代もバランスの良い食生活だと思います。

ここで私の言いたいことは、「工業化した農業」に依存するのではなく、少なくともわが国で自給できるものは食糧自給率を高めていくために必要なことではないかと言うことです。

ただし、私はTPPなどの目先の(政治的)問題には関心がありません。米国主導型の肉、魚、穀物にしても現代では絶対に安全という目安はありません。特に、今年は大震災の影響や海水温度の変化により、魚1つを取ってみても異常事態が発生しています。米や乳製品の放射性物質による汚染の問題も加わりますが、これもわが国の第一次産業の衰退とは無関係ではありません。

今年の大震災により、さらに第一次産業は窮地に立たされています。真にこの国の復興を願うならば、私たちは縄文・弥生時代のライフスタイルを見直してみることも必要ではないでしょうか?最低限、自分たちの食料は自分でまかなうのが基本であると私は思います。

その上で、余剰なものが出てくれば「持たざる国」に惜しむことなく食べ物を提供することが大事なことだと私は思います。

2011年12月 9日 (金)

エコとスピは違う

昨今「エコ」(eco)という言葉が巷にあふれていますね。みなさんは、エコと聞いて何を連想するでしょうか?

本来、エコは生態学(Ecology)という学問から関心を寄せられるようになった言葉です。その具体的要点として、

・従来の公害源であった部分の改良

 

二酸化炭素の排出削減

 

自然環境を損ねる化石燃料や電気(火力発電)の消費抑制

 

太陽熱・太陽光や風力などの自然エネルギーの利用促進

 

再利用された素材の使用

 

再利用のしやすい構造の採用

 

水質浄化や有害物質の除去

 

その他、なんらかの意味で健康に良好

 

自然に親しむ活動をする

 

野外の廃棄物やゴミを片づける・環境浄化の作業を行う

 

自然の再生や多様性の増加を目指す作業をする

 

希少な自然を守る

などがあげられていますが、私の見解によれば、いずれも人間が招いた自然・環境破壊に対する利権絡みの人間中心主義に基づく「悪あがき」に過ぎないと思います。自業自得の結果、我々人類の生存確率を高めるための政治的、経済的活動ではないでしょうか?

エコをやらないよりやった方がマシかも知れませんが、もはや手遅れではないかと私は感じます。40年以上も前から自然・環境破壊に関する警鐘は鳴らされてきたにもかかわらず、人類は目先の利益に眼を奪われ、資源の大量消費を前提とする文明を構築してきたわけです。この期に及んでも、地球の天然資源の争奪戦略にうつつを抜かしているようでは、人類の先は見えています。

エコとスピとの関係を、ここであえて論じるとするならば、現在声高に叫ばれている「エコ」は、スピでも何でもありません。人間が中心となって推進していくエコなど、地球から見れば無用の長物です。

むしろ、私は「ディープ・エコロジー」の方が、よりスピな思想・実践体系ではないかと常々思っています。ただし、これがスピだと完全には言い切れないとも思います。この点については、別の記事で論じてみたいと思います。

ディープ・エコロジーの8つの原則を見るとかなり過激なことを我々に求めているように思います。

1原則(固有の価値)

 

地球上の人間そして他の生命の繁栄は、固有の価値をもっている。人間以外の生命形態の価値は、人間の狭い目的のためにこれらが有している有用性からは独立している。

 

 

 

2原則(相互依存)

 

生命形態の豊かさと多様性は、それら自身において価値があり、地球上の人間と他の生命の繁栄に寄与する。

 

 

 

3原則(豊かさ・多様性の維持)

 

人間は自らの生存に関わる必要(vital needs)を満たす場合を除き、この豊かさと多様性を削減する権利はない。

 

 

 

4原則(人為)

 

人間以外の世界に対する、人間の現在の干渉は度を越しており、その状況は急速に悪化している。

 

 

 

5原則(人口)

 

人間の生活・文化の羽いは、人口がかなりの減少しても成り立ちうる。他の生物の繁栄のためには、そのような人口の減少が必要である。

 

 

 

6原則(政治)

 

生活状況の意味ある改善には、政治の変革が必要である。これは、経済・技術・イデオロギーの基本構造に影響を及ぼす。

 

 

 

7原則(価値観)

 

イデオロギーの変革とは主に、高い生活水準への執着ではなく、むしろ(固有の価値を有する状況に根付いた)生き方の質を理解する変革である。大きい(big)ことと偉大である(great)こととの違いが深く自覚されるだろう。

 

 

 

8原則(ディープ・エコロジー運動の展開)

 

以上の諸点に賛同する人は、必要とされる変革を実行する企てに、直接的ないし間接的に参加する義務がある。

 

このように、ディープ・エコロジーでは人間中心主義を前提としていません。生命間の相互依存主義が前提であり、人類もその中の1種に過ぎません。

みなさんは、この中で第5原則を受け入れることが果たしてできるでしょうか?たとえ人類が第5原則を拒否したとしても、今ここで、この星が我々に突きつけている最後通牒であると私は考えます。人類にはこれを受け入れる覚悟が求められている時期にさしかかっていると私は思います。すでに「しっぺ返し」は始まっています。

見かけ倒しの欲にまみれたエコではなく、生きとし生けるものに対する畏敬の念、さらには自然に対する畏怖の念を忘れてはなりません。これはかつて自然の一部として細々と暮らしていた人類の古代のスピな感覚にも通じるものです。

2011年12月 8日 (木)

70年前のこの日

若い世代の人たちは知らない派が多数でしょうが、70年前の12月8日は「太平洋戦争」(大東亜戦争)で旧日本帝国海軍がハワイ・オアフ島の真珠湾(パール・ハーバー)に対して奇襲攻撃を行った日です。

この日を境に戦争は世界大戦に突入し、約5000万人の人々が命を落としました。しかも、戦闘員よりも非戦闘員の死亡率の高かったという意味で、大量殺戮の戦争にまで発展したわけです。

私は学校で現代史について学習はしていませんが、自分で徹底的に第二次世界大戦でいったい何が行われたのかを独習しました。第二次世界大戦史に関する様々な書籍を20代の時に読みあさりました。

当時の時代精神として、明治以来の富国強兵政策の先に軍閥政治が台頭し、欧米列強に対等に渡り合おうとした結果、日本は戦争不可避の選択をしたわけです。これにより、多くの尊い人命が奪われたことは歴史的事実です。

今年、形は違えど、東日本大震災によって日本は大打撃受けました。天災にせよ、人災にせよ、多くの人命が奪われたことは同じ事だと私は考えます。

かつての敵国が今では同盟国として震災直後に大きな支援をしてくれたことも時代の変化を感じさせてくれます。しかし、彼の国は今なお戦争を輸出し、自縄自縛に陥っています。自ら打ち出した「グローバル・スタンダード」によって、この世界は混沌とした情況に陥っています。

今から70年前の我が国の行動は「窮鼠猫を噛む」であったと私は思います。しかし、この国は基本的に「不戦」を旨として常に「和」を尊んできた国でもあります。今でも、世界中のいろいろな地域で紛争や殺戮は絶えません。それを拡大する方向に持って行くのではなく、沈静化する方向に持って行くのが、21世紀における我が国の使命であると私は思います。

勝てば官軍、負ければ賊軍と言われますが、時代精神は20世紀とは異なる方向に向かっています。かつての敗戦国が、外的な圧力や流れに翻弄されることなく、自律的な国家として、この世界に貢献する余地はあると私は信じています。

2011年12月 6日 (火)

陰陽座を見逃した

本当なら昨日、大阪で陰陽座のライブを観る予定だったのですが、諸般の事情により大阪行きを断念しました。

このバンドは我が地元、愛媛県のメンバーが中心となって結成された「純国産重金属楽団」なのであります。

歌詞は日本語オンリー、しかも日本古語を多用し、陰陽道のコンセプトを貫いて男女のツイン・ヴォーカル(陰と陽)でバリバリのメタルを聞かせてくれるバンドです。メタルと言っても、ロックの進化形ですから、五臓六腑に響き渡る重低音&大音響がお好みの方にはお勧めです。耳が疲れている人はスルーということで。。。

本来なら、今年は東日本大震災の影響で計画されていたライヴが中止となり、「式神倶楽部」(FC)のメンバー(=式神と呼ぶ)でもある私としてはとても遺憾でしたが、突然年末に全国ツアーの一報が届き、速攻で大阪ライブのFC先行予約でゲットしていた次第です。

間もなく「鬼子母神」をテーマにしたコンセプト・アルバムがリリースされる予定ですが、今年発表された曲には「紺碧の双刃」が代表作といっていいでしょう。この曲の歌詞はこちら。他にも動画サイトから名曲がいくらでも見られますよ。happy01

来春にはニューアルバムを引っさげて、また全国ツアーをやるとのことで、地元にも来てくれるので、ジャパ・メタ初見参が叶いそうです。

今年はやむなくスルーしましたが、来年は「式神」として地元の「生」をしっかり目に焼きつけておきたいと思います。

«クラプトンを観に行った

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