日本人の持つミトコンドリアDNAー母系から受け継がれるDNAパターン
この記事では、自然人類学の一領域である分子人類学の最近のデータに沿いながら、ここまで述べてきたことをDNAを基準にした話にまで広げて展開していくことにする。
田中雅嗣氏らが2004年に発表した論文によれば、現代日本人約700名のミトコンドリアDNA全塩基配列を決定している。これほどの数のサンプルからデータが集まれば、日本人のDNAの持っている特徴をほぼ的確に把握できることになる。
2006年時点では、これが6000人分のデータにまで増えており、世界的に見てもこれほどの数のデータが報告されている国はなく、このデータを分析することによって、日本人のルーツを解明するための信頼性の高い研究が可能となった。
ミトコンドリアDNA全塩基配列を対象者から採取して、その遺伝子コードの突然変異を分類の基準として調べることにより、対象者全体の特徴的なグループを割り出すことができる。これが、ハプログループという概念である。ちなみに、ミトコンドリアDNAは母から子へと受け継がれることが分かっているので、これによって母方の祖先に関する情報も分かるのである。
ただ、ミトコンドリアDNAの分析だけでは、その一族に娘が生まれ続けないかぎり、DNAの拡散が生じてしまい、最初の「先住者」の遺伝子は4代目には16分の1になり、ほとんど初代の先住者の遺伝的な形質がなくなってしまう。
そこで、より正確なヒトの集団の系統や移動の様子を把握するために、男性の持っているY染色体の遺伝的特徴も併せて分析することで、父から息子への受け継がれる形質データの質を高めるという研究手続きが必要になってくる。このような地道で多大な労力も必要な作業を繰り返すことで、着実に研究が進んでいっているわけである。
図…篠田謙一(2007)より引用
さて、上の図は現代日本人の持っているハブログループの分布図である。
1.最大勢力ハブログループD…このうち、最も多いグループは、"D"の記号で示されているものである。D型のグループは最初、アメリカ先住民の中に見つかり、ついでアジアで見つかった。D4+D5の2種類のハブログループだけで、日本の人口に占める割合は、約40%に達する。
D型のハブログループは、東アジアに普遍的に見られるもので、中央アジアにも多数見つかっている。特に、朝鮮半島や中国東北地方の集団でも、D4,D5の2つが人口の30-40%を占めている。
このグループの誕生は、今から3万5千年以上前のことだと推定されており、南回りで東アジアに入ってきたハブログループの中から、最終氷河期が最寒期を迎える以前に誕生したと考えられている。ただし、D4が日本を含む東アジアの東北部に主として分布しているのに対し、D5は中国南部を中心に分布している。
2.環太平洋に拡がるハプログループB…日本人の7人に1人がこのグループに分類される。このハブログループもアメリカ先住民で最初に見つかったものである。このグループは、4万年前に中国南部で誕生したと推定されている。インドから東南アジアに拡散していった集団(ハブログループR)の1つから生まれたものと考えられる。
このグループの特徴は、誕生の地である中国南部から東南アジアにかけて、人口に占める割合が高いことだが、それ以外にも南米の山岳地帯や南太平洋の島々の集団にも多いことが分かっている。
ただし、このグループの拡散の時期は異なる時期に、異なるルートを辿って移動したものと考えられている。
a)アジア南部からユーラシア大陸の沿岸地帯を伝って、北上を続け、当時陸続きだったアメリカ大陸に入り、海岸沿いに南下を続け、南米大陸にまで到達したグループ。
この進路の途中には当時やはり陸続きだった日本列島も含まれているので、このグループの一部が日本列島にとどまった可能性があり、とすれば、一番最初に日本列島に入ってきた「最古の日本人」である可能性も出てくる。
b)南太平洋への拡散は、今から約6000年前に始まった。現在の南太平洋の先住民は、ほとんどすべてがこのハプログループを持っている。
c)中国南部または台湾から農耕技術を携えて東南アジアの海岸地帯に展開した集団の主体。
d)メラネシアの海岸地帯に到達したグループの中には、やがて遠洋航海の技術を身につけ、外洋性のカヌーをこいで、南太平洋に到達した人々がいた。その中からさらに少数のグループがポリネシアの島々から南米大陸の西海岸に至った人々もいる。古代アンデスの住民とポリネシア人との遭遇が数万年の時を隔てて発生した。
e)縄文人との関係…以前は人骨の形態学的な研究から、縄文人の南方起源説が提唱されていたが、現在では拡散の方向と時期から見て、縄文人との関係は薄いと考えられている。ハブログループBの人々は農耕民であり、狩猟採集生活をしていた縄文人との共通点が見つからない。
むしろ、縄文人との接点は、最初に北上を開始して、アメリカ大陸にまで行ったハブログループBの人々が日本列島に定着し、後に縄文人になった可能性が高い。
3.日本の基底集団を生むハプログループM7…ハプログループM7には、a,b,cという3つのサブグループがある。M7aは主として日本に、M7bは大陸沿岸から中国南部地域に、M7cは東南アジアの島しょ部に分布の中心がある。M7が生まれたのは、4万年以上前、各サブタイプが生まれたのが2万5千年前と計算されている。当時は地球の寒冷化にともない、海水面は低下していたため、公開から東シナ海にかけては広大な陸地が出現していた。M7の起源地は、現在では海底に沈んでいるこの地域だったと推定されている。
a)M7aは、琉球列島を伝って日本本土に入ってきたと考えられる。本土日本人に占めるM7aの比率は約7%にすぎないが、沖縄になると約25%に増える。
b)M7aを持つヒトは、日本と朝鮮半島以外にはまず存在しない。
c)M7bも人口に占める割合は少ない方だが、日本列島に広く分布しているので、日本にはM7aと一緒に入ってきている可能性がある。ただし、彼らは日本だけでなく大陸沿岸から内陸部へも拡がっていったようである。
4.マンモスハンターの系譜ハプログループA…このグループは日本人では7%を占めるだけで、ユーラシア大陸全体の分布も中央アジアから北アジアに分布が限られている。しかし、アメリカ大陸では普遍的に見られ、北東シベリアから北中米の先住民では人口の過半数を占めている。
a)ハブログループAの起源地は現在のバイカル湖周辺とされ、その成立は3万年ほど前であると推定されている。
b)旧石器時代のシベリアでは、マンモスハンターと呼ばれる狩猟民が暮らしていたが、その中にはハブログループAを持っていたヒトが多数を占めていたのであろう。
c)ハブログループAから分岐したA2グループはやがてアメリカ大陸に渡っていった。
d)ハブログループAから分岐した他のサブグループとしては、A4,A5がある。前者は東アジア全域に広く分布しているが、後者は朝鮮半島と日本に限定されるサブタイプである。
e)A5タイプは分岐年代が7000年±2800年前という若いグループである。バイカル湖付近から一直線に朝鮮半島にまで南下して、日本の縄文時代以降に入ってきたようである。
5.北方に特化する地域集団ハプログループG…ハブログループGは日本の人口の約7%を占めている。このグループにはG1からG4までの4つのサブグループが存在する。
a)G1タイプは、本土日本人、アイヌ、朝鮮半島に少数見られる。
b)G2タイプは、中央アジアに分布の中心があり、中国南部や東南アジアではほとんど見られない。
c)G3タイプは、明確な分布領域を持たず、中央アジア、モンゴルなどを中心に少数が分布している。
d)その他カムチャッカ半島や北シベリアの先住民の間ではハブロタイプGの特殊なタイプを高い割合で持っている集団がいくつかある。
e)ただし、このグループはアメリカ大陸には渡らず、南に拡散した様子もない。分岐年代も新しく、最終氷期の最寒期以降、ヒトの北方への再進出の際に誕生したものと考えられる。ゆっくりと時間をかけて、北東アジアに拡散していった。日本には朝鮮半島を経由して入ってきたと考えられる。
6.東南アジアの大集団ハプログループF…このグループの日本人に占める割合は約5%。分布の中心は東南アジアにある。
a)このグループは、大移動をせず、新大陸へも南太平洋にも進出していない。
b)中国南部や台湾の先住民には比較的高い頻度で見られる。
c)日本を含めた東アジアの各地に細々と展開していった。
7.北方ルートの末裔ハプログループN9…N9a、N9b、Yの3つのサブグループがある。日本での頻度は、順に4.6%、2.1%、0.4%と少数派に属する。
a)このうち、N9bの分布には著しい特異性がある。このタイプは、基本的には日本以外ではほとんど見つからないということである。
b)日本国内でも、北に行くほどN9bの人口に占める割合が増える傾向が認められる。縄文人の形成との関連でいえば、北からの流入ルートを表しているかも知れない。
c)YはN9の枝分かれしたDNAタイプであり、特に北東シベリア、さらにいえば沿海州の先住民の集団がこのハプログループに属している。
d)Y型は、本土日本人にはほとんどいないが、北海道のアイヌに多く含まれていることが分かっている。これは、「オホーツク文化」(5世紀〜10世紀)が栄えた時代に沿海州アムール河流域に住んでいた漁撈民とアイヌとの間に人的な交流があったことを意味しており、沿海州の先住民のDNAがアイヌに受け継がれた結果である。
8.北方漢民族との関係ハプログループM8a…このグループにも、M8a、C、Zのsつのサブグループがある。日本人に占める割合は、順に1.2%、0.5%,1.3%とわずかしか存在しない。
a)M8aは中国のいわゆる漢民族に一定の割合で現れ、特に北の集団での出現が目立つ。
b)中国では新石器時代以降、黄河流域から南に向かって集団が移動したとされている。南下した集団は多数派のハブログループDと共に移動したのではないかと考えられている。
c)縄文から弥生時代への移行期に伴って、渡来系弥生人の日本本土への流入が想定されているが、彼らが一体どこを源郷としてどのくらいの規模で渡ってきたのか、いまだにはっきりしない点も多い。
d)水稲稲作の起源地である長江流域の新石器時代〜宗代にわたって発掘された人骨と渡来系弥生人の人骨の比較調査を行った結果、M8aのサブタイプを持つ人骨が見つかり、これらの人骨のDNA配列と一致するものが渡来系弥生人と古代漢民族との間では見つかったが、朝鮮半島の人骨との一致例はいまだに見つかっていない。
e)もし、渡来系弥生人が朝鮮半島だけを経由して流れてきたとするならば、M8aグループの出現率が日本と韓国との間で大きく異なるはずである。しかし、韓国においてもM8aグループの出現率は日本人1.2%に対し、韓国では1.7%程度でほぼ同率と見なしてもよい結果が見出された。
f)以上の知見から、過去において朝鮮半島を経由しない別の流入ルート。つまり、渡来系弥生人の光南ルートの存在を示唆するものと考えられる。古代中国の漢民族と日本との直接の結びつきが考えられる。
その他、日本人では少数派のハプログループとしては
9.ハプログループC…中央アジアの平原に分布を広げたグループ。いわゆる遊牧騎馬民族がその代表格。
10.ハプログループZ…アジアとヨーロッパを結ぶ人々。ヨーロッパと極東アジアにまたがる分布域を持っている。北極海に面した先住民の集団を介してヨーロッパまで伝わっていったDNA。
11.ハプログループM10…北方アジアにつながる系譜。日本では1.3%と少数派だが、チベットでは8%を占めている。チベットから中央アジア、朝鮮半島、日本へと続く北アジアの道が見えてくる。茨城県取手市にある中妻遺跡から発掘された100体ほどの縄文人のミトコンドリアDNAのハプログループがM10だったことは特筆に値する発見である。さらに分析を進めると、これらの人骨の多くはバイカル湖周辺のブリヤート人の持つDNA配列と一致した。これにより、縄文人と中央アジアとの接点が見つかったわけである。
12.ハプログループHV…日本の中のヨーロッパ人の系譜。日本における出現率は1%にも満たないが、この結果は明治以降、日本にヨーロッパ人の女性が流入してきた結果と解釈されている。江戸時代以前に一定数のヨーロッパ人女性が日本に渡来した結果と考えるのは困難である。
以上、ミトコンドリアDNA全塩基配列の分析結果に基づいて、日本人のルーツを辿ろうとしたわけであるが、研究結果は逆に日本人を形成したDNAには多種多様なものがあり、それが幾重にも重なって、とても複雑な構造になっていることが分かるだろう。
縄文人や弥生人の問題を考える上でも、分子人類学の知見は有用だと思うが、これは考古学、歴史学、民俗学などの知見とクロスさせながら、多角的に検証していくべきテーマである。現時点では、そのような協力体制が日本では十分に確立されていないと篠田氏も述べており、研究者の縄張り意識やそれぞれの主張のぶつけ合いで終わるのではなく、得られた知見を総合的、俯瞰的に見る視点が必要だと私は思う。
(続く)
参考文献:篠田謙一 「日本人になった祖先たちーDNAから解明するその多元的構造」NHKブックス,2007
最近のコメント