ネットカルト脱会の勧め(8)
日本では、いまだにカルトに関する明確な定義というものが確立されていませんが、欧米諸国では、かなりはっきりした基準が打ち出されています。
たとえば、フランス。フランスの国民議会ではAlain Gestを委員長とするカルト問題に関する委員会が、1995年にカルトとして認定するための基準を明示しています。
カルトとは、「追随者(信者)から無条件の忠誠を獲得すること、批判的精神を減退させること、倫理、科学、公民、教育など公的に許容されている言論の破壊に関わる心理的な不安定さをもたらす操作を狙っている集団であり、それは個人の自由、健康、教育、民主的な制度に対する危害を及ぼすことに関わっている集団である。」と定義されています。
この報告書によれば、日本の有名な新宗教のいくつかもフランスではカルトとして名指しされています。詳しくは原文を読んでください(英語版or仏語版ですが)。
また、アメリカでは、「自らの利益追求のためにあからさまな欺瞞を行う集団をさし、宗教のみならず、教育及び心理療法、商業、政治の分野においても同様の活動をしている集団はすべて破壊的カルトである」(Hassan,1988)とされています。
フランスの基準では、
①精神的な不安定をもたらす
②法外な金銭的要求を求める性格
③社会からの孤立(家族崩壊、友人や恋人などとの絶縁も含む)
④身体的健康に対する危険
⑤子どもたちを巻き込むこと
⑥多少なりの反社会的な言説を流布すること
⑦法や秩序を混乱させること
⑧訴訟が多いこと
⑨従来の経済的流通とは別のルートを持っている可能性
⑩公的権力に対する浸透しようとする企て
などを行っている集団はすべてカルトと認定されます。この辺はキリスト教文化圏における動きということもあり、それに挑戦する集団をカルトと見なしている部分もあるので、日本での状況にそのまま当てはめることはできませんが、日本ではまだまだカルトに関する認識が甘いといわざるを得ません。
軽い気持ちで情報に接触するところから、心理的な操作が始まることを、スピの初心者は知らないでしょう?無批判に、与えられた情報を鵜呑みにすることから、あなたは「虜」にされているのですよ。
私が現在立ち向かっている教祖や批判しているブログは、フランスの基準でいえばれっきとしたカルトの性格を持っているところばかりです。その勢力が拡大することによって、私たちの社会が脅威にさらされることになると言えるものが、ネオスピ(精神世界)にも出てきているわけです。
営利目的で安易に選別もせず、出版物などを出しているマス・メディアの体質にも問題があるのでは、と私は思います。著作権侵害や悪徳商法の疑いも出ているところもあり、このまま放置しておくと、ますます事態は悪化していくことになるでしょう。
ここで、問題は「信者」が簡単には自分の信念を変えようとはしないところに、カルトの巧妙さがあるのです。権威を持った者に対する「支配−依存」の構造がその根本にあります。
カルトの外にいる人がいくら呼びかけても、一向に彼ら信者が考えを変えないのは、カルト特有の集団心理が働いているためです。以下に、その心理学的根拠をあげていきましょう。
1.権威への服従の心理
アメリカの心理学者、スタンレー・ミルグラムは1974年に権威への服従の心理に関する有名な実験を行っています。
実験の被験者は「学習に及ぼす罰の効果」という表向きの理由で募集された一般の社会人です。被験者は二人ずつ呼び出され、ミルグラム博士から「この実験は記憶と罰の関係を調べるためのものです」と説明されます。
その後くじ引きで「生徒役」と「教師役」を決め、実験室に入ります。くじはあらかじめ被験者が教師役となるように仕組まれており、生徒役は博士の助手になるように決められているのです。
実験の手順は簡単なものです。生徒役は別室で電気イスに座り、教師役は簡単なクイズ(単語の記憶問題)を生徒役に与えます。
生徒役がクイズに間違えると、教師役は罰として生徒役に電気ショックを与えなければならないのです。
生徒に与える電気ショックは、15ボルトから450ボルト(死に至る危険あり)までの30段階があり、生徒役が間違えるたびに1段階ずつ強い電気ショックを与えるようミルグラム博士から指示されます。
実験が始まると、教師役は生徒役が答えを間違えるたびに、電気ショックのレベルを1段階ずつ上げていきます。ショックを与えられた生徒役は、段階ごとに悲鳴をあげたりと演技するのです。「痛い、やめてくれ。」、「俺は心臓が悪いんだ。実験をやめてくれ」、「ギャーーー、心臓が止まりそうだ。もうこれ以上実験には参加したくない!」と……
生徒役の悲痛の声に、教師役は博士に「もう止めた方がいいのでは?」と不安になって提案するが、博士は「どうぞ続けてください。」、「あなたには実験を続ける必要があります」、「生徒役の人には身体的な損傷は残りません。どうぞ続けてください」と実験の続行を指示します。そうるすと、教師役はためらいながらも電気ショックを与え続けるのです。
この実験の結果は、驚くべきものでした。教師役の被験者のうち62.5%が最後のスイッチ450ボルトまで実験を続けたのです。(生徒役の人はもう叫び声も上げていないし、無反応になっているレベル)
このように一度、人が権威を持った人の命令システムに組み込まれると、自分の本心でない役割に応じた行動をするようになります。
なぜなら、最終責任者は博士であり、自分は単に博士の指示に従っているだけだと考え、その命令に従うことで実験に貢献しているという満足感が生じているためです。
ミルグラムはこうした、自分は他人の要求を実行しているのだとみなすことを代理状態と呼んでいます。この状態下では命じられている行為についての責任もあまり感じなくなり、自分は命令を果たしただけという弁解をするようになるのです。
まとめておくと、権威組織にはいった個人は、自分自身を自分の目的のために行動しているのではなく、他人の要望を実行している「代理人」と見なすようになる。ひとたび個人が自分の行動をこの観点から考えるようになると、彼の行動および心理状態に深い変化が起こる。
ミルグラム博士は、この状態を「代理状態」(agentic state)と呼びました。それは、個人が自分自身を他人の要望を遂行する代理人と見なしている状態です。この用語は、「主体性」すなわち、個人が自分自身を自分の意志で行動していると見なしている状態と対照的な状態として用いられています。
つまり、実験に参加した人は、自分の主体性や意志を放棄してしまい、実験者のいうことに忠実になることだけに意識が集中しており、「科学の発展のため」に自分が貢献したいるのだという大義名分によって、自分が関わっている状況の意味をすり替えてしまっていたわけです。
さらには、自分は命令に従ったまでであり、人を傷つけたり、殺害しているかも知れない可能性については、責任を感じない「操り人形」になっていたということです。
軍隊や宗教組織では、しばしばこのような論理で、上官や教祖の命令に絶対服従する追従者が現れます。また、軍隊もカルトもそのような「従順な羊」=殺人マシンや集金マシンを製造するためにブートキャンプや各種の行の実践を求めるのです。
代理状態の心理については、オウム真理教の幹部にも同じような兆候が見られています。幹部もまた、教祖の意向を遂行する代理人としての感覚しか持っていませんでした。それに加えて、教祖の命令に服従することが自分たちの修行の成果にもつながるという利己的な欲求も認められています(西田公昭,2001)。
2.預言が外れても信者は信仰を捨てない
これも心理学の分野では有名な研究がありますが、「終末預言」を教義の中に取り入れているカルトの信者が、実際に預言の日に何も起こらなくても、まったく自分たちの信仰を捨てようとはせず、逆に信仰を強化するような情報を集めて教団の結束力が強まったという報告もあります。
自分たちの信念に反する出来事が起こったとしても、他に信仰を強化するような情報を意図的に集めてきて、自分自身を納得させ、こじつけをし、自己正当化を行うことで、預言が外れたことによる矛盾をカバーしようとする心理が信者にはあるのです。
3.賞賛されると信者は信仰を捨てない
カルトの教義を正しい、正義であると信じている人たちに、自分たちが日頃取っている教団への貢献活動、教祖への応援を行い、教祖や仲間から褒められる、激励されるといった経験をすると、信者はますますその信仰を強化してしまいます。人から褒められる、高い評価を受けることは、人間の基本的欲求の1つであり、それが満たされることで、自分の信念や信仰が強められてしまうのです。
4.集団に帰属意識を感じることで信仰が強化される
私たちは、だれしも自分の拠って立つ集団を求めています。孤独でいるよりは、仲間と一緒にいることで、「身内意識」が養われ、集団との一体感が高まるという集団心理が働きます。
したがって、ある人がカルトに入会することで、その集団の一員であるという帰属意識も芽生え、自分が集団のメンバーであることに誇りを感じるようになると、身内の信者との間に連帯感が芽生え、外部の人々や集団とは一線を画して行動しようとする気運が高まるようになるのです。
よそ者や異教徒、社会に対しては敵対的意識が強まり、身内に対してはとても寛容で、そのメンバーであることが自分の拠り所、家族的な雰囲気を持った「ホーム」だという意識が芽生え、非常に団結力が強まります。
このように、一度カルトにはまってしまった人で、現在進行形でその集団にいることで満足している人にとっては、周囲が何を説得しても動じることはありません。そこにいる方が、自分らしく輝いていると思えるような正当化の材料がいくらでも見つかるし、その集団に所属していることで一種の安心感や充実感も芽生えてしまうためです。
以上のことから、私はネットカルトやそれに類する集団に今はまっていて、何も疑問を感じない心理を熟知しているため、そのような人々に脱カルトの勧めはしないと述べてきました。はまっている最中の人には、部外者が何を行っても無駄です。信仰に反する情報は、拒否されたり、記憶されなくなり、信仰に一致する情報だけを追いかけるようになるのです。
5.結論
そこに所属していることで、主観的に幸福であるなら、ご自由にと私は思います。ですが、そこの教えが何か変だ、疑問を感じる、不安だと思うようになった人は、カルトの呪縛が解けかけている人なので、他の選択肢について相談に乗る労は惜しみません。
スピリチュアリティの基本は、特定の組織や教祖、制度、教義にとらわれることなく、自分なりの信念を自律的、自発的、主体的に作り上げていくプロセスです。
そして、別に神懸かりや霊懸かり、神示などにとらわれることなく、自分の生活していくための足場を固め、自分自身と対話して、日常生活の中に「聖」なるものを感じる体験を積むことにこそ、本来の姿があるのです。
私たちスピリチュアリティ研究者は、以下のような信念を持っている人をスピ人だと考えています。
生の神聖さ:スピリチュアルな人は、生が神聖さで満たされており、無宗教的な場面設定においてさえしばしば畏敬、尊敬、および不思議な感覚を経験していると信じる。
彼らは、聖と俗を区分するのではなく、生活のすべてが神聖なものであり、聖なるものは平凡さの中にあると信じている。
スピリチュアルな人は、生活のすべてを神聖化するか、または宗教化することができる。
(完)
注1…ここで言及しているネットカルトには、「例の一派」及び信者による布教活動を目的とした「ファン倶楽部」を含むが、ネット上で活動しているカルト的要素を持っているサイトは、他にも見出すことができる。私は現在、それらをすべて念頭に置いている。
注2…宗教を前面に出していないが、波動製品などを買わせ、信者を心理的に操作している団体が北海道にある。これは、宗教カルトと商業カルトの両面を持っている。
唵枳里訶矩娑嚩訶!
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