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古代呪術の歴史と真理(その1)

私が伊予国に出張期間中には、外部との情報遮断につきリアルタイムでブログの更新ができない。

なので、ブログの読者サービスとして飽きない程度に「古代呪術」に関する記事を3日分、定刻にアップするように予約しておきました。コメントなどは自由に入れておいてください。また、見られる状況になれば随時、レスもつけたいと思っています。

まずは、その1から…

いってみれば、呪術の歴史は人類の歴史そのものでもある。今から50万年前、北京原人は、すでに遺体を埋葬するときにその周囲に赤い鉄の粉をまくという呪術的行為をしていた。先土器時代、縄文時代、弥生時代と呪術的な営みは連綿と続き、現代にも残っている。

呪術とは大自然の中にあまねく存在している眼には見えないパワーを、呪文(言霊、真言など)や呪具を用いて自然から取り出し、集め、神霊や精霊と一体化することによってそのパワーをコントロールする技術のことである。

このテクノロジーを専門技能として扱うのが呪術師(シャーマン)である。呪術師という職業はおそらく人類最古のものであろう。太古の昔、われわれ人間が大自然の脅威にさらされて細々と生活していた頃、呪術師は共同体の中で知恵者であり、リーダーの役割を持っていた。自然の働きはカミの力の顕れであり、呪術師はカミと人を仲介して自然秩序の調節、個人や共同体の運命の予見を行っていた。天変地異、飢饉、病、事故、死。どうして人間は不幸や不条理に見まわれるのか。その原因を探り、生存に関わる問題を解決しようと試みるのが呪術師の仕事であった。この世の悲しみ、悩み、悪や魔の力に屈することなく、否定的な出来事を消し去る能力をもつ人間が生活共同体には必要であった。

生まれつき備わった予知、透視、テレパシーのような特異な能力、トランス状態に入ることで神霊や精霊と一体化し、その意思を受け取る能力。彼ら呪術師はそのような能力を維持するために日夜修行を行っていた。やがて、彼らは共同体の中で特別な地位を得るようになり、長としてムラやクニを治める者も出てきた。邪馬台国の女王卑弥呼もその1人である。古代日本はシャーマニズムと切っても切れない関係にある。

シャーマニズムとは神と人間との間を呪術師、あるいは巫覡(ふげき)が司り,宗教的儀礼を行うことによって神がかり(トランス)となり,神の託宣を告げる呪術的儀礼のことである。巫覡とは古代中国で活躍した呪術師をさす言葉であり,殷や周の王権に仕えた「巫師」以来,秦/漢の時代にも盛んだったようである。

呪術師は神と人間の宗教的仲介者として独立したものというよりは,「神の意識場」にアクセスして,これと一体化(憑依)することのできるヨリマシであり,特殊な血統および特性を持った人間のことを言う。日本では巫覡のことを巫女(ミコ)というが,これはまさに御子/神子(カミの子ども)という本質を持った人間なのである。

山上によれば,巫女は交戦に際してその呪能を強めるために媚飾を施し,邪霊を払うために邪眼を用い,軍の先頭に立って敵に呪詛を掛け合うという役割を担っていた。また,部族内部の勢力抗争や宮廷内紛,政敵呪詛,妻妾間紛争に巫女の呪術はしばしば用いられた。わが国では平安時代に藤原氏を中心とする宮廷内紛において呪術戦が行われたことは有名である。当時の呪術の「呪」とは「言霊」による呪詛であり,「術」とは「動物霊」を用いるテクノロジーであるとする説も存在する。

日本では明治に廃仏毀釈令が出るまでは,神社の中に寺院があり,神仏が渾然一体とした形で祀られていた。修験道や陰陽道も健在で,わが国独自の宗教的フュージョンが認められた。明治から第二次世界大戦に至るまでの神社と寺院の分離,国家神道化への道は,日本の霊的伝統をズタズタに切り裂き,宗教的心性の貧困をもたらした。仏教の貴重な文化的遺産が失われ,修験道,陰陽道も壊滅的な打撃を被った。さらに、敗戦後はアメリカから大きな文化的影響を受け、日本の伝統的霊性は急速に萎びていった。

そもそも,われわれ日本人は神仏に対してどのような観念や感性を持っていたのか。日本の宗教的心性の源泉,源流はどのようなものなのか。こうした伝統が失われ,霊性の空白期間を作ってしまった今では探求するのも困難を極める。

このブログに掲げる記事は今では失われた日本的スピ(霊性)の本質について,さまざまな文献資料、私の行った現地調査に加え,四国の拝み屋によるサイコメトリー(霊査)を通じて得られた情報をもとに構成されている。

古代日本のカミという語は、西洋のgod, deityの概念に見られるように、超越的、人格的(人称的)性質をもっていない。国学者,本居宣長(1730-1801)によれば「人はもちろん、鳥獣草木のたぐい海山など、そのほか何でも普通以上にすぐれた徳(威力)があって、畏きものをいう」とカミの定義をしている。

日本人の自然崇拝は、山川草木などの自然物を、そのまま神として崇拝したのではなく、そうした自然物に宿る神霊を崇拝する精霊信仰(アニミズム)であった。したがって,日本人の考えるカミとは本来,霊魂、精霊、霊鬼、霊威などの働きを表している。

森羅万象、自然には創造と破壊、荒ぶる力と和らぐ力の繰り返しがある。その自然の摂理の圧倒的な姿の背後に人智を越えた大いなるもの,聖なるものの存在を感じ取るところから、日本の神道は成立していったものと考えられる。

宗教学者の鎌田東二は神道の起源を弥生時代以降の農耕文化に求めようとする従来の神道学説に異議を唱え、旧石器時代以来の存在感覚、宇宙観をベースにして、そこにさまざまな洗練が加わり、縄文、弥生、古墳時代以降のさまざまな文化習合、文化複合を通じて次第に成立していったのが日本の神道であると論じている。したがって、上述したような神道的な感覚は、縄文人や旧石器時代人にもあったという立場をとる。

また、歴史学者の武光誠は日本のカミ信仰は縄文の昔、村落などの一定の広さを持つ土地にいる精霊の集合体であったと述べている。土地にとどまっている祖先の霊や、動植物の霊、居住地近くの川や森の霊などがひとまとまりになって「国魂」と呼ばれる地主神になる。縄文人のカミ感覚とは人間は自力で生きられる存在ではなく、周囲の自然の畏れ多い力によって生かされているというものだった。

このように、カミは豊かな恵みを与えてくれる存在であると同時に、それに逆らえば恐ろしい災難を及ぼす「魔」、「鬼」にもなる。カミの二面性を認めるのが古代日本人の信仰の本質でもあった。この辺が西洋的な善悪の分別、天使と悪魔の決定的な分離の考え方とは異なっている。日本の「魔」は怒らせると鬼になって祟られるが、きちんと祀れば恵みと救いを与えてくれる「神」でもあるのだ。

(続く)

唵枳里訶矩娑嚩訶!

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