メサコン
どうも最近の精神世界の住人には、<メサコン>と思われる人が多いのう。メサコンってあまり聞き慣れない言葉かもしれないが、「メサイア・コンプレックス」の略なのだ。ちなみに、メサイア=救世主だよ。
メサイア・コンプレックスとは人を助けずにはいられないような共依存的な心理状態を表す言葉である。
この心理が形成されるのは自分は不幸であるという感情を抑圧していたため、その反動として自分は幸せであるという強迫的な思いこみが発生すると考えられる。
さらにこの状況が深まり、自分自身が人を助ける事で自分は幸せだと思い込もうとするようになる。ここには自己愛も見え隠れしている。
しかし、結局のところ、そういった動機による行動は「自己満足」であり、相手に対して必ずしも良い印象を与えない。というよりも、却って相手を悪い状態に落としてしまうこともあるから厄介だ。
つまり、自分の劣等感に気づくことがなく、むしろそれを救ってほしいという願望を他人に投影してしまい、他人を救済している自分を見て満足するのである。
その背後には、劣等感だけではなく、人に対する優越感も混じっていて、他人がありがた迷惑と感じていても一向にお構いなしに親切の押し売りをする。
また、相手がその援助に対し色々と言うとメサコンの人は不機嫌になる事もある。突然キレて猛然と批判した相手を攻撃し始める。
善意でやっていると本人は思っているから、それに沿って人からありがたがられるときには上機嫌なのだが、反対者や批判者には人が変わったように邪悪な言動を繰り返すこともあるわけだ。つまり、賛同者にメサコンの人は依存しているわけなのだ。
本人に自覚がないだけに「困った人」なのである。
対人援助職の中でもカウンセラー志望者には、この類の「本当は自分が救われたい人」が大挙して受験しに来る。
ネオスピにもこれと同類の人々がいるのがとてもよく分かる。神懸かり系、霊懸かり系の人の様子を観察していると、まったくメサコンとしかいいようのない言動も目立つ。
逆をいえば、それだけ現代人は救世主やスーパーヒーロー(ヒロイン)を待望するくらいに切羽詰まっている人が多く、人気を集めてしまうのであろう。そうしてメサイアの託宣に依存すればするほど、メサイアは信者に依存を深めることになる。教祖は支配しつつも信者(賛同者)に依存もしている。信者がいなければ、裸の王様に過ぎないのだ。なので、誰も相手にしてくれなくなるような状況をメサコンの人は極度に恐れているはずだ。
コンプレックスというのは、別に劣等感だけではない。その人の心の琴線に触れる感情の塊であり、普段は自覚されることがない。でも、それは「心の地雷原」でもあるので、他人がそこに踏み込むと大けがをすることもあるから、適当な距離を置いて付き合った方がいい相手もいるということだ。
そういうコンプレックスを抱えている人々が集まる場所では、ネットでいう「炎上」も起こりうる。
たとえば、劣等感コンプレックスの強い人ばかりが集まる集団では、その中にいる限りはコンプレックスを共有できるから、お互いに慰め合ったり、助け合って、親密な人間関係ができたとか、非常に居心地がよいと感じられるようになる。
そのようなグループでは、お互いのコンプレックスに関する自覚がない限りは、その集団の結束力は強まり、虜になってしまい、簡単には抜け出しがたくなる。
ところが、メンバーの中に自分のコンプレックスを自覚し、目覚めた人が出てくると、今度は集団のメンバーと対決しなければならなくなる。
どの集団であれ、建前や大義名分があるので,誰かがコンプレックスに気づいてしまうと、それは、反逆、裏切り行為として見なされ袋だたきに遭う可能性も出てくる。
これと同じようなことがネオスピの世界でも起こっているのではないだろうか。例のブログ主にしても、私の眼から見ればかなり強い劣等感コンプレックス(被害者意識や怨念さえ感じる)の持ち主と見受けられる。その裏返しとして、彼は優越的な態度を示したり、霊示と称して人助けを行い、賛同者から「メサイア」として崇められることで、コンプレックスの穴埋めをしているわけである。
コンプレックスという言葉をキーワードに使ってみると、ネットカルトがなぜ人気を博すのか、その集団心理も読み解ける部分が出てくる。
参考文献:河合隼雄 「無意識の構造」(中公新書;1977)
唵枳里訶矩娑嚩訶!
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コメント
魔王様
精力的なご活躍、嬉しい限りです。
その節は大変お世話になりました。
ネットカルト脱会の勧めシリーズを執筆して下さいまして誠に有難うございます。
感覚的に感じておりました事柄が文章化されますと、うんうんと頷いてみたり、新たな発見があったりと、とても興味深く何度も読み返しております。
メサコン…私自身も無自覚だけれど、これに類するかもしれません。
自分との対話や真実を見る事は本当に辛い作業ですね。
自分の事は自分が一番わかっている様で、わかっていなくて、他人や物事を鏡にして漸く己を知る事が出来るのでしょうか。
投稿: 紅の葉 | 2008年12月 4日 (木) 10時32分
10月、11月に『不穏な事』がありませんでしたか。
『ワールドメイ○掲示板』で『新米薬寿師』というHNの者が『稲荷除滅』の秘文を練りこんだ書き込みを大量に流し続けています。
『稲荷神』を『全滅』という『祈願』を『諸神社』でしているらしいです。
『平穏ならず』と言う事が無ければ言う事はありません。
少なからず『四国の悪口』には閉口した和崎楽遊ですが。
投稿: 和崎楽遊 | 2008年12月 4日 (木) 15時58分
紅の葉さん
いつも、ありがとうございます。最初はネオスピの暗部を照らすという作業から始まったことが、次第にネットカルトの問題にも移行し、カルト問題は私の専門分野でもあるので、思うところを綴りました。
>他人や物事を鏡にして漸く己を知る事が出来るのでしょうか。
写し鏡になってくれる相手の存在はとても重要ですね。それから、自分の周囲で起こっている「出来事の流れ」をよく観察してみると、自分の内面(自覚していない部分)の様子に気づかされることもあって、なかなか勉強になります。
自己変容というのものは、一筋縄ではいかないし、人間、なかなかこれまでの自分を捨てて、新しく意識を変えるのは難しいことでもあります。
だけど、変わるも変わらないも自分の意志次第だと思います。
投稿: 魔王★クラウザー | 2008年12月 5日 (金) 20時03分
和崎楽遊さん、はじめまして。
まったく影響はありません。不穏なこともありませんし、平気で暮らしております。
稲荷大神の本質を知らぬ者が、その除滅を説いたところで、大した動きにはならないものと思います。奥義を知っている者がそのような発言をするはずもありませんから。
ただ、この件は私に喧嘩を売ってきているわけではないので、相手にはしません。言わせておけばいいんじゃないかと思いました。
では。
投稿: 魔王★クラウザー | 2008年12月 5日 (金) 20時08分
>対人援助職の中でもカウンセラー志望者には、この類の「本当は自分が救われたい人」が大挙して受験しに来る。
ネオスピにもこれと同類の人々がいるのがとてもよく分かる。
カウンセラーなどの対人援助職に全く興味がないtonyです。今回のお話とてもよくわかりました。
投稿: tony | 2008年12月 6日 (土) 00時07分
魔王様
お返事有難うございます。…カルト問題を考えながら、ここ数日、私自身と対話していた様な気が致します。
私がこの事に興味を持ったきっかけは、
昔、カルト信者さんが定価1500円位の教祖の本を駅前で配っており、当時、高校生だった私にも、信者さんは笑顔で本の入った紙袋を渡してくれました。
私はそれを受け取ってよいものか凄く苦悩しましたが、差し出されたら有難うと云って貰う事を選びました。その後、警察が介入しその教団は潰れ、多額の寄付で修行をしていた人のダメージを思うと、受け取ってしまった後悔は大きいです。
未だに私は問題意識を持って、信仰とはカルトとは人間とは何だろうと考えていく事位しか出来なく、コレが正しい姿勢だこうであらねばならないといった鋳型には入れないみたいです。
まだまだ意識変容は出来ませんが、どんな存在でありたいかと常に自問自答しながらいきたいな、と思います。
自分に嘘をつかない様に…
投稿: 紅の葉 | 2008年12月 8日 (月) 11時34分
紅の葉さんへ
このような問題について、自問自答することはとても大切なことで、自分に嘘をつかないということも含めて、問うてみれば結構なことかなと思います。
僕が思うには、「人間とは何か」を問うていくための手立ての1つが宗教(スピ含む)なわけで、自分探しをすることもその要素になると思います。
だから、時には「疑ってみる」ことも必要ですし、「鵜呑みにしない」という姿勢も問われるかと思います。
私の場合は、研究室にそのカルトも含めて、多くの本が送られてきました。
当時、そのどれを取ってみても、それが自分にとっての答にはなっていないと思ったので、はまることもなく、死蔵させてきた次第です。ただ、研究の対象にはなりました。
投稿: 魔王★クラウザー | 2008年12月 9日 (火) 00時02分