実のところ、この話の続編を書くつもりはなかった。しかし、昨日、祈祷所の祭壇で特異現象が続発したので、心に刻みつける意味でブログに記すことにした。
1月15日21時30分頃、外出していた祈祷所のメンバー2人が帰宅してきた。私は祈祷所で留守番をしていた。前日、座敷童事件が発生したため、外出の帰りにお供えの饅頭を買ってきたので、祭壇に供えると言って一人が祭壇に向かった。そのとき、すでに異変は起こっていた。
またもや、ロウソクが燭台から抜き取られて、一段上の八足のコマ狐の両脇に置かれていたのである。しかも、前日よりもロウソクが数センチ短くなっている。つまり、一定時間燃焼したロウソクが燭台から離れて、八足の上にあったのである。
まず、嫌疑をかけられたのが留守番をしていた私。いたずらでもしたんだろうと疑われた。
とんでもない。私はその日、祭壇には向かわず、二人が外出する時間には祭壇のロウソクが燭台に立っていることを確認して、彼らが帰宅するまでずっと二階の自室にこもっていたのである。ロウソクに触ることなどあり得ない。
濡れ衣を着せられそうになったので、反対弁論を行った。
その後、食事を済ませ、身を清めた後、私が祭壇で夜の祈りを行った。祝詞、祭文、お経をワンセット唱えて、ロウソクに火をともしたまま祭壇の部屋を出た。
もし、何か目には見えない次元での意識場の作用があるなら、ともしたままのロウソクに何か異変があるかもしれない。
その数分後、メンバーの一人がロウソクの様子を見に祭壇の部屋に向かった。すると、ロウソクが見えないという。急いで部屋に行くと、何とまたもや燭台からロウソクが抜かれて、八足の上にあった。
つまり、今度は火が消えたロウソクが移動して別の場所にあった。しかも、ロウソクの芯が手前の方向に向いていた。
そこで、今度は新品のロウソクを燭台に刺し、火をともした。移動したと思われるロウソクはそのままの場所に置いた。
数分後、メンバーの一人が様子を見にいった。そこで、柏手を打ったらスーッと新しいロウソクの火が二本とも消えてしまったという。
この時点で、3人とも絶句した。
デジカメ
がなかったので、ともかく、この状態を記録にとっておこうと思い、私の携帯のカメラで撮影したのが写真の様子である。私が拝んだときに火をともしたロウソクが八足の上に移動している状態を写しだしている。天地神明に誓って言う。これは人為的に動かしたものではない。
その後、いったいこの一連の現象が何を意味するのか、霊媒による託宣の議を執り行った。
そこで降りた神籤の概略は以下の通りである。
人間というものは自分の肉の眼で物事を見ないと、なかなか納得できない性質を持っている。ましてや、人間業を超えた、「目には見えない力」の存在を信じようとはしないものである。たとえ、ここに神が鎮座ましましても、疑いの心を持つ者には、何も受け入れようとはしないであろう。
疑いの心がどこかにある者は、神に仕える資格などない。この現象を目の当たりにして、汝らは神仏の存在をどう捉えるか?よく考えるがよい。
心に裏表のある人間は我の前に座るべからず。神は汝らの心を見通している。神の前では嘘も隠しも通用しない。ロウソクの向きを変えたのは、人の心に存在する裏表を暗示している。そして、神を疑う者には心の灯火も消える。我はここにあり。
真剣に大いなる存在に対する畏怖の念を実感させられた夜であった。
唵枳里訶矩娑嚩訶!
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