日本人のルーツ(4)
1.ミトコンドリアDNAの地域差
ここまでの話から、女性から伝わるミトコンドリアDNA全塩基配列のパターン分析をした結果、日本人の直接の祖先を考えると、東南アジアと東アジアを源郷としており、その他にも少数ながら、別ルートでの日本列島への流入も観察できることが分かったと思う。つまるところ、日本人のルーツ探しは、アジアにおける大きな人の流れの一部として見るのが望ましいと言うことである。
現代日本人の持っているミトコンドリアDNAのハプログループの成立とその拡散は、特に東アジアでの地域集団の成立の物語にもなるわけだ。
それでは本土日本人と近隣の地域集団との類似性(相違)はどうなっているのか?
篠田(2007)より引用
このグラフ(クラスター分析)を見ると、中国東北部、朝鮮半島、本土日本人のミトコンドリアDNAのハプログループはほぼ類似していると見なすことができる。沖縄の集団は少し離れた距離にあるが、本土日本人との近縁関係を持っていることも分かる。
一方、中国南部の地域集団と台湾先住民のハプログループの構成は、非常に類似しており、本土日本人とは明らかに異なっていることが分かる。
中国東北部、朝鮮半島、本土日本に住む人たちは、言語も違うし、国家が成立してから長い時間が経過しているため、ミトコンドリアDNAのハプログループが類似しているという結果を奇異に思う人もいるかも知れない。
しかし、これは同じハプログループを持っている地域集団がやがて異なる言語を持つように分化していく前の姿をとらえていると考えるのが妥当な解釈である。
ここで、すでに紹介した埴原学説=「日本人の二重構造論」では、形質人類学の立場から、旧石器時代人につながる「東南アジア系の縄文人」が居住していた日本列島に、東北アジア系の渡来系弥生人が流入して徐々に混血していき、現在に至るという仮説が提案されている。
これに対し、遺伝学の立場からは、現代日本人は基本的には北方系の遺伝子的要素を持っていると結論づけており、両者の論点が一致していない。
この点について、篠田氏は
①よくデータを見ると、南方系の遺伝的要素であるハプログループBの頻度が朝鮮半島や中国東北部に比べて高い。
②ハプログループM7aやN9bのように、日本にしか見つからない遺伝的要素もある。
ということから、単純に縄文人が北方系の集団と一致しているとは結論づけられないと述べている。
かといって、埴原学説のように、単純に縄文人を南方系の集団であると位置づけることには、データとの矛盾があると述べており、縄文人が単一&均一の地域集団というよりも、もっと地域によって多様性を持っていた可能性を示唆している。
2.沖縄人と南九州人とのつながり
今度は本土日本人から離れて、沖縄、琉球諸島に住む人々のケースについて考えてみよう。
今から1万8千年前の旧石器時代のものとされる港川人は、全身の骨格が揃っている日本最古の人骨として知られている。しかし、沖縄ではそれから1万年以上の間、本土の縄文時代に相当する時代の遺跡が見つかっていない。もっとも古い貝塚時代の遺跡が6000年ほど前のものなので、旧石器時代の人間の遺伝的要素が現代の沖縄人に受け継がれているかどうか分からないのが現状である。
沖縄では、貝塚時代が本土日本が弥生時代になっても続き、12世紀になってグスクと呼ばれる城が造られるようになる頃に終わった。この時期になって沖縄でも農耕が行われるようになり、グスク時代以降、急激に沖縄の人口は増えた。
以下に、沖縄の人々のルーツについて、これまでに分かっている知見を織り交ぜながら述べてみよう。
①地理的な位置関係から、沖縄の人と台湾先住民との密接な関係が予想されたが、データは両者の間に共通する遺伝的要素が存在しないことが分かっている。宮古島や八重山諸島など先頭諸島と沖縄本土と区別して、データの分析を行う必要があるが、先頭諸島のデータがないので、その関係は分からない。
②貝塚時代以降の人の流れは、台湾などの南方からではなく、本土(南九州)から流れてきた可能性の方が高い。最初に沖縄に定住に成功した貝塚時代の人々もそのルーツは南九州にあると考えるのが妥当である。南九州(種子島)には、縄文時代から北部九州とは異なった集団が住んでいたことが分かっている。その中に沖縄へ渡っていった人々がいたのかも知れない。
③沖縄と本土日本との最大の違いは、沖縄におけるハプログループM7aの突出にある。M7aは非常に古い時代に南方から日本に入ってきたグループである。このハプログループM7aを南方系の縄文人のDNAだと考えれば、沖縄の地域集団は、北海道のアイヌと並んで縄文人の形質を色濃く残しているという形態人類学者の唱える「二重構造論」とも一致する。
沖縄を中心に北に向かうほど頻度が減少していることが分かる。縄文人の北上ルートを暗示しているデータかも知れない。
3.北海道先住民のルーツ
①北海道先住民であるアイヌについては、すでに述べたように、渡来系弥生人の影響をあまり受けず、在来の縄文人の特徴を色濃く残した人々であるとされている。ただし、アイヌも外部からの文化、すなわちオホーツク文化の影響を受けたことが明らかになっている。
②ゆえに、アイヌのケースも単純に縄文人の延長として残った人々ではなく、独自の成立の歴史を持っていると考えるのが妥当である。
③北海道の縄文人骨からは今のところ、ハプログループYを持つものが発見されていない。これに対し、現在のアイヌにはハプログループYを持っている人の割合が高く、そのルーツをオホーツク人に結びつける根拠になっている。
④ハプログループN9bはM7aと同じく、日本以外ではほとんど見られないミトコンドリアDNAのグループだが、M7aほど著しい傾向ではないものの、北に行くほど増加傾向にある。これは、N9bが北から侵入した集団からもたらされたものである可能性もある。
地域別に比較したM7aとN9bの出現頻度
4.まとめ
以上のデータから、日本人=本土日本人+沖縄人(琉球人)+アイヌのルーツと地域差について見てきたが、縄文人になっていった人々にも多様性があり、沖縄、アイヌの中でも独自の変化(小進化)が生じていることが分かるだろう。
また、別のデータからは、日本の縄文人と同じDNA構造を持つ人々が朝鮮半島に住んでいたと考えられるものも存在する。
これまでの歴史観だと弥生時代になって、突然移民が朝鮮半島を経由して流れ込んできたかのようなイメージがあったのだが、最近のデータではすでにもっと遡って縄文時代から朝鮮半島と日本との間の交流があったことが分かっている。
したがって、少なくとも、北部九州と朝鮮半島南部は、同じ地域集団だった可能性も浮上してくるのである。
今では「国境」を基準に人の集団を区別してみてしまう傾向が私たちにはあるけれど、ここで論じている時代は、国境さえもなかった時代の話なので、少なくとも縄文時代までは、国家という枠に縛られることなく、人々はフリーパスで往来していたのであろう。
(続く)
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コメント
南方的身体特徴を色濃く備えたわが身を基準に見回すと、日本人「単一民族」説なんて眉唾ものだと思ってました。
それはさておき、個人的な感想ですが、かつて初めて沖縄に足を踏み入れたとき、なんともいえない心地よさを感じました。たとえて言えば、母親の懐に抱かれたかのような。こういうことは、それまでにありませんでしたし、またこれ以降も沖縄以外に感じたことがありません。
それ以来、沖縄に惹かれてしまい、毎年、あるいは2年に1度は必ず行っています。^^
これが所謂「ウチナー病」ってヤツかぁ、と思っていたのです。
今回のエントリーを拝読して、南九州の在である自分が、ご先祖もしくは自分の前世(憶えてないけど)の時代において沖縄と何か関わりがあったのではないかと愚察する次第です。
投稿: kolgo13 | 2009年6月16日 (火) 03時43分
kolgo13さん、こんにちは。
そうですね。妙な懐かしさを覚える場所ってあります。
今回の一連の記事からお分かりいただけると思いますが、縄文人も多重構造を持っていたし、渡来人も多様な出自を持った人々であったと思われます。
さらに言えば、同じDNA系統に属する人々でも、居住地域や自然環境の影響から異なる文化、異なる言語を持つようになったものと考えられます。
昔から、日本は習合文化を持っていたのですが、人定な交流についても和合、調和して独自の文化を形成していったのでしょう。
相手の持っているいい部分を取り込んで、自分たち独自の文化に仕上げていくのは、縄文時代以来の性質だったと思います。
投稿: 鬼神☆中村 | 2009年6月19日 (金) 10時30分