日本人のルーツ(5)
1.北海道の縄文人の特異性
ここまでの話から、新石器時代までに日本に流れてきたさまざまなミトコンドリアDNAのハプログループを持った人たちが、日本に定住して彼らがやがて縄文人になっていったおおよその移動のプロセスが分かったと思う。
この記事では、さらに新しい知見を取り入れながら、縄文人から渡来系弥生人の流入にいたるプロセスについて述べることにする。
まずは、現代日本人と縄文・弥生人の近縁関係を示した図を見ると、発起道の縄文人だけがかけ離れたグループになっていることが分かる。形質人類学の観点からは、少なくとも縄文時代中期以降の縄文人は全国的にほぼ均一な形態を持っていることが知られているので、関東の縄文人と北海道の縄文人の集団には大きな違いがあると言える。
これは1つには、北海道の縄文人の歴史の中で、人口を著しく減らすような出来事があったか、他の集団との隔離が起こり、通婚圏が固定化されてしまったために生じた現象ではないかと解釈されている。
ただ、その後の研究で、北海道の縄文人に見られるハプログループD1は、沿海州の先住民にはわずかに見られるものの、現代日本人や東アジアの大多数の集団には見られない特殊な遺伝子であることが分かっている。
このD1遺伝子はむしろアメリカ先住民が持っているものと同じタイプの遺伝子である。形態人類学の見地からは、縄文人やその特徴を色濃く残すアイヌと北アメリカ先住民との間に近縁性が高いと言われているが、従来の研究では北海道のアイヌのDNA分析の結果からは、アメリカ先住民との関係は見出されてこなかった。
この失われたリンクを埋めるのが北海道の縄文人であり、これによりアイヌと北アメリカ先住民とのつながりを想定することができるようになったのである。
2.縄文人から現代日本人に受け継がれたもの
日本人集団独特のハプログループには、M7aとN9bがあることは、すでに述べた。M7aは縄文人の特徴を色濃く残すという沖縄の人に高い出現率があり、関東と北海道の縄文人からも見つかっている。
また、N9bは本土日本の中では東北地方に高く、南に行くほど頻度が少なくなることが示されており、北海道の縄文人の大部分がこの遺伝子を持っていることが分かっている。このことから、少なくともこの2つのハプログループは、縄文人から伝わったものと考えていいことになる。
ただ、N9bについては沿海州の先住民には存在するものの、朝鮮半島の住人からはほとんど見つからない。北海道の縄文人に高率で見つかることから、この遺伝子は北間話襟のルートで入ってきたことが想定できる。ところが、N9bは沖縄の人からも高い出現率で見つかるため、単純に北から南へ伝わったとは考えにくい。
日本の北と南の地域で高く、中央部で低いというパターンを示す遺伝的な形質には、他にも耳垢の研究で見出された結果がある。湿った耳垢を持つ人々の割合は、日本の南部と北部で高く、中央で低いという結果を示している。
このような結果は、渡来系弥生人の日本本土進出で、在来型の縄文人が一方で北に移動し、他方で南九州から沖縄、琉球列島に移動していった結果と考えるべきかどうかの問題と関連づけができないだろうか。つまり、北海道の縄文人と沖縄の人は、元は同じルーツを持っていたという可能性である。
3.縄文人と弥生人の混血はあったか?
上の図を見ると、渡来系弥生人、現代の本土日本人、関東の縄文人の3つのグループの遺伝子構造の違いが比較できる。
このデータから見ると、
①渡来系弥生人にはD,Gのハプログループが合わせて約50%にも達していることが大きな特徴である。
②また、縄文人にはなく渡来系弥生人には見られるN9a、C、Z等のハプログループは大陸からもたらされたものであると考えられる。
③現代日本人の各ハプログループの分布は、縄文と弥生のほぼ中間的な分布構造を示している。
④「1.北海道の縄文人の特異性」で示した、別のデータの分析結果らも、渡来系弥生人は本土日本人に一番近く、その上位クラスターに関東の縄文人がかぶさっており、さらに、アイヌ、沖縄人が多層的にかぶさって、1つの大きなクラスターを構成している。
以上の分析結果から、縄文人と弥生人は、DNA構造から見れば系統が異なる集団である。それぞれのグループは独自の歴史を持っていたのであろうが、これらの事実は現代日本人が在来系の縄文人と渡来系の弥生人の混血によって成立したという、埴原の二重構造説を強く支持している。
しかし、このデータだけで二重構造説が完全に立証されたと考えるには、何点か限界があることも付記しておく必要があるだろう。
①ミトコンドリアDNAは母系に伝わるため、もし渡来してきた弥生人が男性中心の集団だったとすれば、彼らは在来系の縄文人女性と結婚して子孫を残すことになる。したがって、渡来系弥生人の構築した社会といっても、ミトコンドリアDNAは縄文系女性の系統を引いたものになるはずである。とすれば、このデータは、北部九州と関東以北の地理的な隔離によって引き起こされたハブログループの偏りを反映した結果と言うことになる。
②考古学者の立場からは、北部九州の早期弥生時代の遺跡から出土した朝鮮半島系の土器は全体の10%程度であると見積もられている。しかも、この種の土器が出土するのは、玄界灘に面する大規模な遺跡からだけで、その他の早期弥生時代の遺跡からは見つかっていない。ゆえに、考古学者は早期弥生時代の渡来人の数を全体の10%程度と考えている。
とすれば、早期弥生時代に多数派だった縄文系の血を引く在来系の住民が水稲稲作農耕と金属器という大陸系の文化を受け入れて「弥生系縄文人」になったと考えるのが、考古学的な見解である。
しかし、もしこの仮説が正しいなら、弥生時代にも縄文系のハプログループが引き継がれていくことになるし、先述したデータの解釈も、渡来系弥生人と関東縄文人の、縄文時代から続く地域差を表してることになる。
③これに対する反論として、人類学の立場からは、渡来系弥生人と縄文人の形質は、いくつかの点で大きく異なっており、中国や朝鮮半島の遺跡からは渡来系弥生人とそっくりの人骨が見つかっている。したがって、日本の在来型縄文人が生活の変化によって弥生人的な形質を持つようになったとか、日本に見られる弥生人の形質が独自に縄文人から変化して形成されたという見解には無理がある。
人類学では弥生時代の開始期から、渡来系弥生人が出現する中期までに、これまでの弥生時代の編年では、わずか200年しかないため、100万人規模の多数の渡来人を想定してきた。これに対して、考古学では多数の渡来人を想定しなくてもよいと考える人が多い。
④その後、中橋隆博氏(2005)の研究によれば、人口シミュレーションの研究により、農耕民である弥生人の人口増加率が狩猟採集民である縄文人よりも高いとすれば、最初の渡来者が少数であっても、数百年で在来系の集団の数を上回ることが示された。これは世界中の先住民社会の研究で、一般に狩猟採集民よりも農耕を受け入れた集団の方がおじなべて、人口増加率が高いという知見に基づいている。
最近では弥生時代が始まった時期が従来の学説よりも500年以上遡るという研究も出てきた。とすれば、最初に渡来してきた渡来人が少数で、人口増加率が低いと見積もっても、いずれ狩猟採集民の縄文人の人口を上回ることは確実に推計できる。
4.まとめ
以上の議論から、弥生時代の開始期に渡来してきた弥生人が数を増やしていき、その周辺の在来系の集団を少しずつ取り込んでいったと考えられる。この状況設定では、常に多数派の渡来系の集団に少数派になった在来系のDNAが取り込まれていくことになるため、渡来系のDNAが主体となって存続していったことになる。
このように、日本人のルーツは、多種多様なDNAを持った集団が様々なルートから列島に入ってきて、その中で定住した人々が独自の歴史と文化を築いて縄文人の原型になっていき、やがて渡来系弥生人の到来によって、少しずつ在来系の集団を取り込み、(中にはそれに離反、抵抗した集団もあるようだが)、北部九州を起点に西から東へと混血を繰り返しながら、現代日本人の源流となっていったと考えるのが適切であろうと考えられる。
ここまでは、母系から受け継がれるミトコンドリアDNAの解析結果から導かれる結論であり、父系から息子へと受け継がれるY染色体遺伝子の研究成果にまでは触れていない。
以後、最新の知見を取り入れながら、さらに日本人のルーツの謎に迫っていきたい。
(続く)
| 固定リンク
|
「歴史・民俗」カテゴリの記事
- 日本人のルーツ(6)(2009.06.19)
- 日本語のルーツ(2)(2009.07.31)
- 日本語のルーツ(2009.07.31)
- 日本人のルーツ(5)(2009.06.17)
- 日本人のルーツ(4)(2009.06.15)



































コメント
アイヌとは別に千島アイヌと呼ばれる民族があったそうです。詳しくは知りませんがロシアの白人系かな?と思ってます。
投稿: 厄年 | 2009年6月18日 (木) 12時22分
厄年さん、こんにちは。
ブログ記事にはそこまで立ち入りませんでしたが、最近の研究によれば、千島列島を含むカムチャッカ半島、北東にシベリアに居住していた先住民のミトコンドリアDNA系統はYグループと呼ばれており、その後の研究でN9から枝分かれしたグループだと分かっています。
この遺伝子は北海道のアイヌの人たちに多く含まれていることも分かっているのですが、だれがN9遺伝子を持ち込んだのかについても判明しています。
アイヌの歴史を見ると
①縄文時代
②続縄文時代…本土では弥生時代〜古墳時代に相当
③擦文時代…飛鳥時代〜平安時代に相当
④アイヌ文化時代…13世紀以降〜現代
に分類されています。
このうち、④の時代の直前、5世紀末〜10世紀まで、北海道のオホーツク沿岸には「オホーツク文化」と呼ばれる独自の文化が栄えています。
オホーツク文化をアイヌに持ち込んだ人々は、オットセイやアザラシを捕獲する漁撈民でしたが、彼らの遺伝子を調べるとYグループがほとんどを占めていたことが分かっています。この人々との混血によって、別のグループができたものと思われます。
北海道には縄文時代、恵山文化(道南)、江別文化(道中央)、興津・下田ノ沢文化(道東)、そして宇津内文化(道北)の4つの文化圏に分かれていました。
さらに、この文化の中でも、網走市〜釧路市を結ぶ線の東側にオホーツク文化と擦文文化の融合した「トビニタイ文化」が9世紀から13世紀にかけて、存在したことが確認されています。
ただ、このオホーツク文化の担い手はモンゴロイド=黄色人種です。白人のDNA系統とは全く異なる人々です。
投稿: 鬼神☆中村 | 2009年6月19日 (金) 11時04分
なるほど白人系かと想像してました!ここまで学問的に解説されると納得ですm(_ _)m 私は中村先生と同じ兵庫県なので北海は遠く別世界のようで… (^_^;)
投稿: 厄神 | 2009年6月26日 (金) 01時19分