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2009年7月

ダライラマ14世、四国・松山で講演

という記事が地方新聞に載っていた。

http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20090730/news20090730352.html

で、先行予約のできる寺院ってどこだろう?宣伝不足もいいところだ。僧侶、檀家優先予約なのか?

にしても、大物ロックスターの単独公演並みのお値段ですわ。

私は、過去2回、チベット亡命政府のある北インド、ヒマラヤ山麓の街、ダラムサラで「青空ライブ」を二回も聴講しているので、日本講演には一度も行っていない。

ただ、今回のテーマから察すると、「一般のお客様向け」の内容になると思う。彼の持つ厳しくも優しいメッセージを2回も目の当たりにしているので、現地で法話を聞く方が圧倒的なリアリティはある。チベット人僧侶向けの法話では非常に厳しい言葉を発し、しかもチベット式瞑想のトレーニングまで経験したし、仏典に関する解釈の問題にまで発展する専門的な話を聴いてきたからだ。その内容は、すでに、このブログの「チベット人のスピ」に関する連載記事で紹介している。

とブツクサ言っているが、遂に四国、しかも地元にまで訪問されるとのニュースは、朗報と受けとめるべきであろう。招聘するにも巨額の資金が必要だと聞いていたので、私では無理だと諦めた経緯があるのでね。

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日本語のルーツ(2)

さて、中国や中国や朝鮮半島から流れてきた渡来系弥生人は、自分の故郷の言葉を捨てて(多少は現地人に影響は与えたはずだが)、「郷に入り手は郷に従え」で、現地人の言葉を使うようになったと考えられている。それは、日本人がアメリカに住めば英語を話すようになると同じ論理だ。

でも、縄文語って一体どんな言語なのかさっぱり手元になかったので、またまたよそ道にそれて、いろいろネットで検索したら、この曲が縄文語をほぼ正確に再生して歌われていることを知った。古言語学の研究者の協力で完成した曲だ。

http://www.youtube.com/watch?v=QPaeRCEnP0A

これって、昔TVのドキュメンタリー番組のテーマ曲として使われていたのでよく覚えてる。でも、何言ってるかさっぱりわかりゃしねえ、琉球語かと思ってたら、縄文語を再現したものだった。動画には英語のテロップが出ているので、めちゃ単純な歌詞だと言うことが分かると思うけど、これは現在解明されている、紛れもない縄文人の言葉(音声)である。以下に現代日本語対訳を載せておく。

ただ、これも原縄文語にまではたどり着いてはいない。少なくとも、上古特殊仮名遣いと地方方言分析(後期縄文語)から割り出された「音」である。

また、「お薦めCD」にもリストアップしているので、興味のある方は、そこをポチッとしてください。

『神々の歌』 by 姫神

A-ba,naa-nga MAPO
(私の名前がマポです。)

A-ni,nono to,aya to,ine to,ye to,
(私に、祖父〔祖母〕、父、母、)

oto si bu-i-bu-mu
(兄〔姉〕と弟〔妹〕が居ます。)

単にこのフレーズの繰り返しだ。

ちなみに、東北弁やアイヌ語に近い言語が縄文語の方言であり、北から、南から西から入ってきた言葉が混合されて方言はあれど本土縄文語が形成されたらしい。渡来系弥生人もこの言葉を覚えて、列島を東進して在来系日本人と交流していったと考えられている。

縄文語では「私」は「アー」、「あなた」は「ナー」、「天空」は「アマ」、「海」は「ワタ」、「星」は「ボツィ」と発音した。日本の神にも天照大神(アマテラスオオミカミ)、海神(ワタヅミノカミ)という神名も見えるので、これは確かだと思う。

さらに、身体の一部をさす言葉はこれだ。

髪:カミ
顔:トゥラ
耳:ミミ
鼻:パナ
くちびる:ピル
手:タア
胸:ムナ

という具合に、何となく理解できる単語も多い。

じゃあ、上記の歌に出てくる主人公「マポ」は、日本語学的に発音がPがFに、FがやがてHに変容して現在至るので、マポ=MAPO=MAFO=MAHO=真穂ということになるのかな?

いずれにしても、先の記事に書いたとおり、方言というのはその謎を解く重要な鍵になっていると言うことだ。

ならば、私の育った地域の方言で言わせてもらうと、「おんどれ、そんな言葉も知らへんのけ、われ。」(おい、君は、そんな言葉も知らないのかい?)そんな上品なものやありまへん。大阪弁でも一番ドスのきいた言葉の河内弁やんけ。

ま、それはともかく、この歌を聴いてもらって、古代に思いをはせてみるのも一興だと思う。

(続く)

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日本語のルーツ

今度の記事は、以前、連載していた「日本人のルーツ」シリーズの第2部と位置づけ、言語に関するテーマについて書き綴っていくことにする。

最近の日本語は、かなりグローバル化しており、外来語の流入や、短縮語も増えて、どこに行ってもだいたい同じように聞き取れるし、意味も分かる。世代間ギャップによって、短縮語の意味がオヤジには不明なときがあるものの、よく文脈を聞き取っていればだいたい若い連中のボキャブラリーくらいはすぐ覚えられる(だって、語彙が少なすぎだしな)。

また、職業柄レポートや試験の答案を読むことがあるが、日本語が正しく書けている学生はこの20年間で激減しているといのが私の経験である。話し言葉も、書き言葉も崩れてしまっていることは長年大学教育の現場にいて実感できる部分である。

私たちの話したり書いたりする日本語は一体どのようにして形成されてきたのであろうか?昔の人はどのような言葉を話していたのであろうか?

上代特殊仮名遣い(万葉仮名)の時代には、無理矢理漢字を当て字にして当時の日本語の音に似た漢字で表現していたので、どうにか奈良時代の頃の発音、音声のパターンは分かる。

でも、私が知りたいのは、漢字導入以前の縄文、弥生時代の人間が日常的に使っていた「古日本語」である。無文字時代の言語に興味にあるのだ。

神代の時代の言葉ってどんな言葉なんだろう?四国で拝み屋稼業をしていると、霊媒の「ご神託」がしょっちゅう降りてくる。本人は全くの無意識で神の言葉を話すわけであるが、深層意識から出てくる言葉には、「古文」などで習った言葉だけじゃなく、全く理解できない言葉も出てくることがある。霊媒に言わせれば、聞いたこともない言葉が降りてきて、意味が分からないので、逆に神様に尋ねると、身振り手振りやビジョンで意味を教えてくださることもあるという。

また、私たち神職が奏上する祝詞にしても古語である。その意味はおおむね理解できるが、細かいところまでつついていくと「大祓詞」に出てくる言葉の「音」や意味に注意して唱えないと、それは真の意味での「言霊」にはならないので、祝詞の中に隠されている「古日本語」についても調べておく必要を感じている。

以上の理由から、今回は日本語のルーツをたどる辿ることにした。

私が子どもの頃に住んでいた家の近所に、島根県松江市出身のおばあさんがいた。そのおばあさんの話す言葉は、当時関西に住んでいた私にはほとんど分からず、いわゆる「ズーズー弁」だった。ズーズー弁というと東北地方の方言全般に見られる特徴的な発音だと思っていたので、なんで松江の人の話し言葉がズーズー弁なのか、子ども心に不思議に思っていた。

今では、国語学や比較言語学も発達しているので、「日本人のルーツ」で述べたDNA分析による人類の移動の痕跡と考古学的発見なども横断しながら、日本人の言語についてもある程度の成果が得られるようになっている。

小泉保氏の「縄文語の発見」という本が、その際非常に参考になる。氏はまず各地方の「方言」に注目して、その方言の分析を通じて、弥生語や縄文語の片鱗を見つけ出すという途方もない業績を残している。また、国語学の立場からは大野晋氏の「日本語はいかにして成立したか」という本も参考になった。

まずは、小泉氏の業績に注目して方言から辿る「原日本語」の旅に出ることにしよう。

Hougen まず、結論から先に述べると、琉球諸方言、九州方言、東北方言、山陽/東海方言、関東方言は縄文語がその底流にあると言うことだ。

縄文語は旧石器時代からの原縄文語を起点として形成され、前期九州縄文語に受け継がれ、そこから「東進」、「北進」を辿る。表日本、裏日本という言い方には私は抵抗を感じるので、太平洋側、日本海側の2つのルートをたどりながら、東進、北進を続けていき、各地方の昔ながらの方言になっていった。ただ、出雲地方は、大和政権に取り込まれてしまったが、言語は頑なに守られ決して大和言葉に服従することはなかったわけである。つまり、日本海側に沿って東北地方までが同じ言語を話す縄文語圏だったわけである。いわゆる「越」の国々、北陸地方にもかつては東北方言的な発音を伴った方言があったはずだ。

これに対して、後期九州縄文語は、渡来系弥生人の話す言語(おそらくは古代中国語、古代朝鮮語)の影響を受けながらも「原弥生語」を形成する土台になっている。渡来人の言語が直接大和言葉になったのではなく、九州地方北西部に住んでいた縄文人がある程度彼らの言語を取り入れつつも、元々あった縄文語をベースに関西地方に伝播していったのであろう。

私は渡来系弥生人を中枢に置く「邪馬台国」は当初は北九州を本拠地としていたが、人口増加に伴って、瀬戸内海を通って河内の国に上陸し、そこから奈良に本拠地を定めて「ヤマト」になったという印象をもっている。そのときに、弥生語も形成されたわけだが、その言葉はいわゆる「関西弁」になっていった。

こう考えると、原縄文語がどのようなものだったのか想像の範囲でしか分からないが、私が子どもの頃に聞いた近所のおばあさんのしゃべる言葉が縄文語系であり、日本海側に広く伝わっていた伝統ある言葉だったのだと今では理解できる。「takasi」という名前を「takasu」としか聞こえないような発音だったのを今でも鮮明に覚えている。

私は関西生まれの関西育ちなので、ほぼ間違いなく渡来系弥生人の末裔だろうと思うが、間もなく米国遺伝子学研究所で、父方のDNAハプログループの分析結果が出る時期にさしかかっているので、それまでは断定しないことにする。

方言がどんどん廃れて行っている現代日本。私たちは今一度、自分の生まれ育った地域の方言に誇りを持ち、その言葉に込められている古代の叡智を見直す必要を感じる。中央集権的国家体制を見直し、「地方の時代」を標榜するならば、堂々と自分の地域の方言を話せばいいわけである。

ちなみに、今私の住んでいる伊豫国は関西方言圏に含まれており、渡来系弥生人の言語の影響を受けている地域である。だから、伊予の国に初めて来たときにも違和感はなかったのであろう。ただ、夏目漱石の「坊ちゃん」に出てくるような「ぞなもし」という方言はすっかり廃れて死語になっている。

(続く)

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サイトの一元化

これまで公開していた私のHP「やほよろづ.com」及び「別館」の休止を本日付で行いました。

前者は2000年に開設した「パラトラパ雅のHP」が母体となっており、2002年に「やほよろづ.com」としてリニューアルを行い、以後、コンテンツの追加や削除を繰り返しながら現在に至っています。

ただ、すでにこのHPの内容は古くなっていて、最近はこのブログの方にもっぱら新しいネタを提供するようになっており、私の言説の発信源として"Livin' On A Prayer #3"の方がうまく機能しているとアクセス解析などの結果を根拠に分析、判断しました。

後者の「別館」は、私の教会のHPとして、「適切な時期」が来るまで休止します。

なお、学術論文など参照の多かったコンテンツは、順次「中村雅彦WEB研究室」の方に移行させていきます。

当面の間、このブログを拠点として引き続きいろんなネタを用意していきますので、これからもよろしくお願い申し上げます。

鬼神 拝

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第二次心霊戦はとっくの昔に終わっている

かなりご無沙汰です。四国地方はまだ梅雨明け宣言が出ないので、ブログのデザインは「雨」のテーマのままにしています。本の原稿書きや学会発表の原稿書きなどでバタバタしていて、なかなか顔出しができませんでした。

さて、6月4日付の記事で第二次心霊戦の事実上の終結宣言を私はしている。ブログ内検索をしてよく読み返してほしい。もう自分たちの手から離れた、ということは、本件について、自分たちは一切の戦闘行為を停止し、あとは神仏の意志に委ねるという意味である。

ここで、誤解してほしくないことが1つある。心霊戦とは「目に見えない次元での闘い」であり、一方的に何の理由もなく、こちらが先制攻撃をかけるようなことは全くない。

その経緯は、5月3日付の記事に書いたように、突然真っ向から同時多発テロ的に攻撃してきた者がいたため、専守防衛を旨として挑戦者との戦闘に入ったまでである。それも一ヶ月後には終結している。その後の結果などは私の関知するところではない。

「目には見えない次元での闘い」というのは、決して物理的な手段を講じるものではないという意味である。「覚悟」を決めて向かってきた者とのタイマン勝負でもある。「覚悟」を決めるというのは、ハンパな気持ちなど微塵もなく、「決死」で立ち向かうことである。

物理的な嫌がらせはカルトや一部の新宗教の専売特許であり、私にはそんな事をやっている時間もお金もない。

いまだに「誤爆」されていると思い込んでいる人もいるようで、そういう人たちと取り合う気はないし、実際、よく調べてもらえば私に通じる根拠も証拠も出てこない。何の関係もないのに、ただの思い込みでゴチャゴチャ言われるのは、はた迷惑である。とても不愉快なことである。

そのような妄想がかった人々とは関わりたくはないので無視する。濡れ衣を着せたがるのも、この類の人々によく見られる「投影」である。自分がこれまでにしてきた行いに対して、反発や恨みの念さえも持っている人もいることがある。そちらの方面の事を調べた方が有力な手がかりが見つかるかもしれないな。←これアドバイス

いずれにしても、四国の拝み屋は心霊戦に際して、物理的手段は講じないことだけは断言しておく。そんな低次元の争いに関わることはないし、一切関係ない。

繰り返すが、第二次心霊戦は6月4日付をもって終結している。すでに終わった事なので、今後、この件について公式発表はない。

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新疆ウイグル自治区の問題

この最近、新疆ウイグル自治区で、ウイグル人と「漢民族」との衝突が伝えられ、非常に緊迫した状況が続いているようだ。

しかし、「民族」を基準にすると、ともすれば視野狭窄に陥り、支配-服従のタテの関係の問題になってしまう。どちらが優劣を決する根拠など、本来はないのに「漢民族中心主義」という現代中国の政策もあり、昨年はチベット自治区での暴動、今年はウイグル族の暴動と「漢民族」による反撃という構造になってしまっている。

ここで、以前の記事「日本人のルーツ」シリーズに立ち戻ってみると、遺伝学的には「民族」という概念そのものが意味をなさなくなってしまうのである。すべての現世人類は、元を正せば中央アフリカで誕生したカップルが祖先になっている。

昔、「人類皆兄弟」と言った高名な人物が日本にはいたが、まさにその通りの結果が自然科学的手法によって解明されたのである。

たとえば、「漢民族」というと一枚岩のような固定観念ができあがっているが、ミトコンドリアDNAの解析結果によれば、いろんな遺伝学的特性を持った集団の「ごった煮」であることが解明されている。

0003 左の図を見てもらえば、遺伝子的には「漢民族」にも東西、南北でかなりの特異性があり、新疆ウイグル自治区の「漢民族」といっても、はっきりしたグループに属しているわけではない。むしろ、他の地域の漢民族とは独自のポジションに立っているグループに属する。

0002 さらに、日本人も含めて東アジア全体の遺伝学的特質を比べてみても、北と南での変異はあるものの、基本的には「人類皆きょうだい」と見なしてもいいくらいの近縁性がある。遺伝的ルーツをたどれば、源は同じなのである。

これも中国独自の歴史的、政治的背景があり、支配、制服の歴史を繰り返してきて「漢民族」としてのアイデンティティを確固たるものにしたいという政治的思惑の表れかもしれない。

大同小異な遺伝的特性を持った人々の集まりが東アジアには展開しているわけで、そこに国家や民族という概念を差し挟むのは、時代の流れから見ても逆行しているように思える。もちろん、侵略や征服を目的とした強権発動などナンセンスもいいところである。民族、国家に縛られる時代はもはや終焉を迎えた。今後は、それぞれの独自性を尊重しながら、多元的な価値を相互に認めて「和をもって貴しとなす」の精神でやっていけばいいわけで、「面子」にこだわる古い習慣は改めた方がいいと思う。

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とりあえず、一息

次作の本の原稿執筆に追われる日々が続いて、こちらのブログの方が疎かになっていた。ようやく脱稿にこぎ着けたので、この最近の睡眠不足、蓄積された疲労をとるために、「勝手に夏休み」に入る。

そうはいっても、来週は大阪でEnuff Z'nuffのライブを観に行き、その後で教え子たちと梅田界隈でカラオケに行って大暴れしようという予定も入っている。

「日本人のルーツ」の記事で紹介していただいた"National Genographic Project"にも登録して、DNA検査キットを送ってもらい、まずはY染色体DNAの分析を依頼した。料金は送料手数料込みで$165ほどだったが、日本で検査してもらうとなると、最低でも¥70000近くはとられるので、まあ良しとした。

オプションでミトコンドリアDNAの解析もできるので、Y染色体DNAの分析結果が出たら、今度は母系のルーツを辿る分析を依頼しようと考えている。

データベースへの登録も承諾しようと思っている。それで、少しでも人類学の研究に貢献できるなら被験者として参加することには異議はないし。

私のDNAサンプルは現在、シカゴまで行っているので、テキサス州ヒューストンの研究所に届くのも間もなくのことだろう。

映画館にもよく足を運ぶようになり、最近では「天使と悪魔」、「ターミネーター4」などを見た。

5月から原稿執筆に取り組んでいたけど、やっぱり最後の一文字を書いて脱稿したときの充実感が癖になっている。いつも最高の気分に浸れる。だから、また次に挑戦しようという気になれるんだな。気力は漲り、モチベーションも高い。

適度に気分転換もしながらの2ヶ月であった。睡眠不足はともかく、元気溌剌である。

また、出版時期が迫ってきたら、ここでも宣伝する。休みながら、ブログの次のネタを考え中である。

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