今度の記事は、以前、連載していた「日本人のルーツ」シリーズの第2部と位置づけ、言語に関するテーマについて書き綴っていくことにする。
最近の日本語は、かなりグローバル化しており、外来語の流入や、短縮語も増えて、どこに行ってもだいたい同じように聞き取れるし、意味も分かる。世代間ギャップによって、短縮語の意味がオヤジには不明なときがあるものの、よく文脈を聞き取っていればだいたい若い連中のボキャブラリーくらいはすぐ覚えられる(だって、語彙が少なすぎだしな)。
また、職業柄レポートや試験の答案を読むことがあるが、日本語が正しく書けている学生はこの20年間で激減しているといのが私の経験である。話し言葉も、書き言葉も崩れてしまっていることは長年大学教育の現場にいて実感できる部分である。
私たちの話したり書いたりする日本語は一体どのようにして形成されてきたのであろうか?昔の人はどのような言葉を話していたのであろうか?
上代特殊仮名遣い(万葉仮名)の時代には、無理矢理漢字を当て字にして当時の日本語の音に似た漢字で表現していたので、どうにか奈良時代の頃の発音、音声のパターンは分かる。
でも、私が知りたいのは、漢字導入以前の縄文、弥生時代の人間が日常的に使っていた「古日本語」である。無文字時代の言語に興味にあるのだ。
神代の時代の言葉ってどんな言葉なんだろう?四国で拝み屋稼業をしていると、霊媒の「ご神託」がしょっちゅう降りてくる。本人は全くの無意識で神の言葉を話すわけであるが、深層意識から出てくる言葉には、「古文」などで習った言葉だけじゃなく、全く理解できない言葉も出てくることがある。霊媒に言わせれば、聞いたこともない言葉が降りてきて、意味が分からないので、逆に神様に尋ねると、身振り手振りやビジョンで意味を教えてくださることもあるという。
また、私たち神職が奏上する祝詞にしても古語である。その意味はおおむね理解できるが、細かいところまでつついていくと「大祓詞」に出てくる言葉の「音」や意味に注意して唱えないと、それは真の意味での「言霊」にはならないので、祝詞の中に隠されている「古日本語」についても調べておく必要を感じている。
以上の理由から、今回は日本語のルーツをたどる辿ることにした。
私が子どもの頃に住んでいた家の近所に、島根県松江市出身のおばあさんがいた。そのおばあさんの話す言葉は、当時関西に住んでいた私にはほとんど分からず、いわゆる「ズーズー弁」だった。ズーズー弁というと東北地方の方言全般に見られる特徴的な発音だと思っていたので、なんで松江の人の話し言葉がズーズー弁なのか、子ども心に不思議に思っていた。
今では、国語学や比較言語学も発達しているので、「日本人のルーツ」で述べたDNA分析による人類の移動の痕跡と考古学的発見なども横断しながら、日本人の言語についてもある程度の成果が得られるようになっている。
小泉保氏の「縄文語の発見」という本が、その際非常に参考になる。氏はまず各地方の「方言」に注目して、その方言の分析を通じて、弥生語や縄文語の片鱗を見つけ出すという途方もない業績を残している。また、国語学の立場からは大野晋氏の「日本語はいかにして成立したか」という本も参考になった。
まずは、小泉氏の業績に注目して方言から辿る「原日本語」の旅に出ることにしよう。
まず、結論から先に述べると、琉球諸方言、九州方言、東北方言、山陽/東海方言、関東方言は縄文語がその底流にあると言うことだ。
縄文語は旧石器時代からの原縄文語を起点として形成され、前期九州縄文語に受け継がれ、そこから「東進」、「北進」を辿る。表日本、裏日本という言い方には私は抵抗を感じるので、太平洋側、日本海側の2つのルートをたどりながら、東進、北進を続けていき、各地方の昔ながらの方言になっていった。ただ、出雲地方は、大和政権に取り込まれてしまったが、言語は頑なに守られ決して大和言葉に服従することはなかったわけである。つまり、日本海側に沿って東北地方までが同じ言語を話す縄文語圏だったわけである。いわゆる「越」の国々、北陸地方にもかつては東北方言的な発音を伴った方言があったはずだ。
これに対して、後期九州縄文語は、渡来系弥生人の話す言語(おそらくは古代中国語、古代朝鮮語)の影響を受けながらも「原弥生語」を形成する土台になっている。渡来人の言語が直接大和言葉になったのではなく、九州地方北西部に住んでいた縄文人がある程度彼らの言語を取り入れつつも、元々あった縄文語をベースに関西地方に伝播していったのであろう。
私は渡来系弥生人を中枢に置く「邪馬台国」は当初は北九州を本拠地としていたが、人口増加に伴って、瀬戸内海を通って河内の国に上陸し、そこから奈良に本拠地を定めて「ヤマト」になったという印象をもっている。そのときに、弥生語も形成されたわけだが、その言葉はいわゆる「関西弁」になっていった。
こう考えると、原縄文語がどのようなものだったのか想像の範囲でしか分からないが、私が子どもの頃に聞いた近所のおばあさんのしゃべる言葉が縄文語系であり、日本海側に広く伝わっていた伝統ある言葉だったのだと今では理解できる。「takasi」という名前を「takasu」としか聞こえないような発音だったのを今でも鮮明に覚えている。
私は関西生まれの関西育ちなので、ほぼ間違いなく渡来系弥生人の末裔だろうと思うが、間もなく米国遺伝子学研究所で、父方のDNAハプログループの分析結果が出る時期にさしかかっているので、それまでは断定しないことにする。
方言がどんどん廃れて行っている現代日本。私たちは今一度、自分の生まれ育った地域の方言に誇りを持ち、その言葉に込められている古代の叡智を見直す必要を感じる。中央集権的国家体制を見直し、「地方の時代」を標榜するならば、堂々と自分の地域の方言を話せばいいわけである。
ちなみに、今私の住んでいる伊豫国は関西方言圏に含まれており、渡来系弥生人の言語の影響を受けている地域である。だから、伊予の国に初めて来たときにも違和感はなかったのであろう。ただ、夏目漱石の「坊ちゃん」に出てくるような「ぞなもし」という方言はすっかり廃れて死語になっている。
(続く)
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