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妄信する人の心理

本日の記事はかなり専門的な内容になる。心理学を少しでもかじったことのある人間には分かるだろうが、素人さんにはちょっと難解かも。

宗教的な態度や信仰心、またある種の政治的思想については、それが妄信的な行動を引き起こしたり、ときとして自爆テロ、聖戦といった自己破壊的、自己犠牲的な行動になって表現されることがある。

このような極端な行動の背後には、個人の信念、態度の強烈な形成が存在するものと考えられる。

社会的態度の形成、変容過程は社会心理学が主として取り組んできた課題であるが、そこには組織へのコミットメントや熱狂的な信仰を特徴とする「態度形成者」の心理プロセスを記述、説明するのに有益な理論がある。

以下に、個人のある対象に関する態度(attitude)が、いかにして形成されるのか、態度が形成された場合、いかなる心理学的特性が認められるのかについて、従来の理論をふり返っておこう。

1) 自己生成的態度変容の理論

個人がある対象に対して形成している態度は、外部からの情報に接触することによってある方向に変容するであろうというのが、従来の態度変容研究の基本的な立場である。これに対して、Tesser(1978)は、ある態度対象について単に考えることによって、個人の信念と感情に変化が生じると主張する。つまり、この理論では個人内部で生じる思考活動が態度変容を引き起こす、という立場が強調されるのである。

この理論は、3つの基本的命題から成り立っている。

①様々な刺激領域に対して、人々は素朴な理論( naive theories )または認知図式( schema )をもっている。これらはその刺激がもっているいくつかの属性を顕現的( salient )にし、他の属性に関する推論に規則を提供するものである。

②ある認知図式のもとで考えることによって、信念に変化が生じる。これらの変化は認知図式との一貫性、評価的な一貫性をもつ方向で生じることが多い。

③態度は、信念の関数である。

以上のことから、ある刺激対象について考えることによって態度が極化するであろう、という一般仮説が導かれることになる。

この理論において重要な概念に認知図式があげられる。認知図式は、多くの刺激情報を系統だてる枠組の役割を果しており、これがあることによって初めて人は環境から入ってくる膨大な情報のどの部分に注目し、どこを無視したらよいかが分かるようになる。

また、認知図式は刺激属性間の関連性にかかわる規則を提供する役割ももっている。したがって、ある刺激に関する情報が不十分なとき、認知図式の適用によって、その情報の“穴”を埋め合わせることが可能となるのである。

認知図式の一つの典型例は“暗黙裡の性格観”( implicit personality theory )にみられる( Cronbach,1955; Rosenberg & Sedlak,1972 )。これは自己と他者の性格特性とその関連性について個人が保有している素朴な信念の体系をさす。

たとえば、「血液型がB型の人は、明るくて、開放的で、ユーモアがあり、細かいことは気にしない」という信念は、血液型と性格特性の関連性にかかわる暗黙裡の性格観を反映したものである。

人はこのような認知図式の手を借りながら、ある刺激対象について考えることによって、刺激属性に関する信念が図式と斉合するように、また評価的にも一貫性をもつように体制化していくと考えられる。

この過程をある例に沿って説明しよう。ある人(P)が他の人(O)の血液型がB型であることを知ったとしよう。PがOのことを考えるとき、彼の暗黙裡の性格観(認知図式)に基づいて推論が行われることになる。その結果、Oの性格は明るく、開放的で、ユーモアがあり、細かいことは気にしないという信念が顕現的となる。このような信念はOの性格を好ましいものとして評価していることを意味する。

したがって、思考後のPのOに対する態度は、より好意的なものとなるであろう(態度の極化)。ここでもし、Pが「B型の人は、無愛想で、近寄りがたく、粗野である」という図式をもっていたとすると、Oについて考えることによって、否定的な評価的信念が顕現化するであろう。すなわち、思考後のPのOに対する態度は、より非好意的な方向に極化するであろう。

Tesserの理論は、個人の認知過程を重視しており、①対象について考えることと、②その対象に適用される認知図式が先行条件となって、一定方向の態度変容を引き起こすというものである。これら2つの要因は、実験操作上は独立したものとして扱われている( Tesser & Leone,1977 )。

しかしながら、より現実に即して考えるならば、ある対象について考えるときに何らの認知図式も用いずに推測が行われるとはいいにくい。Tesser & Leone (1977)では、対象に関する思考と認知図式が態度の極化に対して交互作用効果を及ぼしていることが明らかになっている。

すなわち、よく発達した認知図式を用いて考えるとき、態度の極化が最も大きくなった。また、Tesser & Danheiser(1978)は、ある刺激人物に関する思考の機会と認知図式の種類を独立に操作しているが、思考の要因それ自体は、対人的な評価に何らの効果も及ぼさなかった。このことから、ある対象について考えるときには、認知図式を用いて推測を行うことが多いといえるのではないだろうか。

2)  態度形成理論

水原(1982)は、従来の態度理論が態度の先行条件となる刺激事態や態度の後続事象の分析があまり行われてこなかった状況を踏まえて、態度形成( attitude formation )に関する理論を提唱している。

水原は、態度を情動(評価)と認知(知識)の2つの成分からなるものと定義した。そしてある対象に関して態度をもっている人(態度形成者)は、その対象について評価的、情緒的な意見をもっているのに対し、態度をもっていない人(態度未形成者)は、その対象について認知的、非情緒的意見をもっていると考えた。つまり、両者は対象に関する認知(知識)の点では共通しているが、情動(評価)の有無の点において異なっているのである。

多くの態度研究が「態度質問紙」によって測定されたものを態度の操作的定義としているのに対し、水原の理論は、態度があくまでも仮説的構成概念である点を強調しているのが特色である。つまり、態度は刺激事態と反応とを理論的に関係づけるために導入される媒介概念とされるのである。

態度形成の先行条件として、水原(1982)は①ある対象について評価を決めること、②ある対象について考えることをあげている。これらの活動によって、対象の属性に関する知識の評価的次元が顕現化され、ひいては態度が形成されると考えるのである。

態度が形成された結果、以下のような事象が生じることが確認されている(水原、1982;1984 )。

①自我関与の高まり・・・土田(1985)によれば、対象について考えることによって、社会的判断において受容域が減少し、拒否域が増大することが見いだされた。このことは、態度形成が生じることによって、態度対象に対して自我関与が増大することを意味する。

②反応の一貫性の高まり・・・ ある対象に対して態度が形成されれば、その対象に対する認知的、感情的、行動的反応相互の一貫性が高まる。すなわち、ある対象が好ましい(好ましくない)属性をもつとみなせば、それに対して好意的(非好意的)な感情を抱き、接近(回避)の意図をもつようになるであろう。

③変化への抵抗の高まり・・・一度態度が形成されると、それを変化させようとする外的力に対して抵抗が高まる。これは上述した反応の一貫性を保とうとする機制が働くためである。たとえば、ある人物を好意的に評価した後で、その人物の好ましくない特徴に関する風評を聞いたとしても、容易には否定的な評価が生じにくくなることがある。

④認知の単純化・・・態度形成にともない、対象を認知するときに用いられる次元の数が減少する。すなわち、認知図式が単純化する。とりわけ、態度形成は対象の評価的次元を顕現化するため、その対象が「良い−悪い」、「好ましい−好ましくない」といった側面で信念が形成されやすくなるであろう。

水原(1982)の理論は、仮説的構成概念たる態度の先行条件と後続事象の関係を明確化しようと試みた点において意義深い。特に、態度形成者と態度未形成者とを実験的な操作によって作りだし、両者の認知反応の特徴を比較することにより、態度の性質を明らかにしようとしている。また、対象について考えることを態度形成の条件として取り上げている点はTesser(1978)の単純思考(mere thought)の着想と類似性をもっており、ここに両理論の接点がある。この理論もまたTesser(1978)と同様個人の認知過程が中核的な位置を占めている。

以上、論じたことがどのような心理プロセスに適用できるのかについて、注釈をつけておきたい。

要するに、スピで言えば、特定の宗教に入信した人、さまざまなカルトに取り込まれてすっかりマインド・コントロールに染められてしまった人に、上記のような「頑強な態度」が構築されてしまうということなのである。

いってみれば、完全に「はまってしまっている人」の心理状態を説明するための理論が心理学には存在する。宗教的な事柄と関連づけると、一種の一神教的な世界観であり、私の信じていること、それこそが絶対的な真理であると確信している心理状態である。逆をいえば、その信念に反するものはすべて邪教であり、どのような手段を使ってでも排斥せねばならないという考えにも通じる心理である。

宗教に関する事は、基本的には「信念」の問題に帰属する。それが絶対的に正しいとはまってしまうほど、人は狂信的な行動をとるようになる。妄信的にはまるのではなくて、自分でよく考え、確かめていく習慣づけが必要である。

ある教えを実践してみて、成功例もあるかもしれないが、失敗例もそれを上回るほど存在するかも知れない。それは統計を取ってみないと分からない部分でもある。でも、人は主観的に自分が幸福だと感じていればOKな動物でもある。

そう言う事実にさえ目が向かなくなる状態ほど、恐ろしい状態はないと私は思う。

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「祈りの力」札幌ライブ(キャンセルのお知らせ)

4月に予定されていました「祈りの力」札幌ライブは、主催者側の都合により、キャンセルとなりました。

すでにお申し込みいただいていた方々には大変ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご了承のほどお願い申し上げます。

それに伴い、ウェブページから本件に関する記事を削除しました。

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浪速の学会(私のライブ込み)

2泊3日の予定で、浪速での学会に参加してきた。実質的に、私が足を運んだのは二日目の本番のみだったが、まったくシンポジウムでの準備もできていない状態で、原稿が仕上がったのは、発表当日の午前3時。朝から座長(司会)を頼まれていたため、毎度毎度の事ながらほとんど寝ていない状態で、当日会場に向かったのであった。

今回は人体科学会がメインの開催で、日本トランスパーソナル心理学/精神医学会(JATP)は、付録のような位置づけになっていた感もあったのだが、これには私自身思うところがある。

本来ならば、今年度のJATP学術大会は愛媛で行う予定だったからだ。その辺の借りを返し、私なりに償いをするという意味で私は浪速に向かったのだった。本当なら、JATPを四国の地でやることで、私は職を辞するつもりでいたわけだけど、昨年来の体調不良により断念せざるを得なかった経緯もある。

さて、午前の部ではJATPの研究発表の座長をやり、4件の研究について司会・進行をしたわけだけど、大学院生の研究についてはやはり教育的な見地で物言いをつけたくなり、発表会終了後に、本人と研究計画と今後の展開についていくつか建設的なアドバイスをしておいた。瞑想と認知的&情動的共感性との関連に関する研究だったので、もし私がこのテーマで研究をやるならと言う視点で、要因配置計画について指摘しておきたかったわけ。

午前のセッションが終わって、愛媛時代の教え子たちと昼食をとり、しばらくの間ブレークタイム。午後3時からのシンポジウム『「生き方の問題」をめぐる学問の探究とスピリチュアルな実践』に備えて、原稿の確認とプレゼン(MacBookProにインストしたKeynote08でいつもプレゼンを作っている。パワポは嫌い)の修正を直前までやっていた。

そうこうしていると、JATP会長と副会長がお出ましになったので、しばらくの間雑談モード。
廊下でシンポの打ち合わせをやるといういかにもアバウト&超いい加減モードで話し合ったのだった。

シンポの持ち時間が15分程度と言うことで、私は「精神世界の闇」の問題について、最近のネオスピの動向をふまえながら論じた。十分に用意していた原稿を語り尽くせなかったが、ライブで語り尽くせなかったことは、学会誌で特集論文として加筆修正して掲載することになるだろう。

精神世界のカルト化の動きやネットを使ったカルトの動向について、スピ系本流の学会として組織的な行動を取ることができないかという提案を行ったが、議論を行う時間が持てずに不完全燃焼の感が残っている。

少なくとも、ネオスピの暗部を照らし出し、スピ関心層にアピールできるような多くのオプションをJATPから提供することが可能である。もちろん、それは学術的根拠に基づいたワークなり、セラピーでもあるため、自分に合ったものを探し出すことも可能である。しかも、学会が提供することのできるスピな道というものは、まったくの素人でも安全に取り組めるものであり、人心を惑わすような行為は公の組織として決して行うことはないと断言できるだろう。

組織的に、学術的にスピを研究&実践している人々が、本物のスピを求める世間の人々に対して行うことのできる社会貢献の仕方はあると私は考えている。世間で言うところのスピとは、また違った、しかし地に足のついたスピリチュアルなアプローチを紹介したり、カルトについて迷ったり、不安を感じたり、疑問に思った人たちの相談に乗ることは可能だと私は考えている。

私個人の力ではできないことでも、組織の力になれば対応可能だと思っている。

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宗教と社会心理学

事典原稿をもう書いてしまった。とりあえず、何度か推敲して完全版を提出することになるが、定められた字数で宗教を語ることはとても難しい。が、それをあえて挑戦してみるのも一興だろう。

<宗教と社会心理学>

 アロママッサージ、占星術、ヒーリング・アート、瞑想、気功、ヨーガ、整体、様々な癒しやセラピーの技法を駆使する人々の集う見本市が、2002年以降日本全国で毎月開催されている。「すぴこん」(スピリチュアル・コンベンション)と呼ばれるイベントである。オウム真理教事件(1995年)が発生して以来、宗教やカルトに対する警戒心が高まったが、心の安らぎを求める人は少なくはない。既成の宗教の制度や教義にとらわれない「スピリチュアリティ」という言葉も、2000年代に入ってよく使われるようになってきた。

●宗教とは? 大辞林第三版(三省堂)で、宗教の項を引いてみると、宗教とは、①神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え、②経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し、積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系とある。

そもそも宗教は個人の心理的、霊的な安寧(spiritual well-being)を神仏による救済を得ることで達成することが目的である。その目的に到達するための方法論として非合理的、非日常的な世界との接触、交信を行う呪術、霊術の体系を持ち、神秘的、超越的な体験を得ることで神仏との一体化を果たしていくことが重視される。

宗教に関する社会心理学的研究を俯瞰してみると、①死生観、宗教意識の構造に関する実証的研究、②破壊的カルト及びカルト・マインド・コントロールに関する研究に大別することができる。本稿では、特に前者に焦点づけながら宗教を論じる。

●日本人の死生観、宗教意識の構造 日本人の宗教意識が「オカゲ」と「タタリ」の対概念を基本に成り立っていることを社会心理学の観点から、実証的に検討した研究として、金児(1997)があげられる。金児は石切神社参詣者を対象に実施した質問紙調査の結果から、無視されたり祀られない霊魂が怨霊や邪神となって人びとにたたり、憑依して順調な日常生活を狂わせ、災厄をもたらすという「タタリ」に関する素朴な信仰が存在すること、他方で神仏によって守られ助けられているという心情を抱いたり、祖先崇拝に見られる死者による恩情感などの「オカゲ」に関する信仰も存在することを見いだしている。

 また、金児(1993)は、大学生とその父母を調査対象者として、家族の死生観と儀礼の意味との関連性について興味深い知見を明らかにしている。すなわち、人生の目的に関する意識は、「仏壇と神棚」あるいは「仏壇」のある家庭において強く、死を人生の試練と受けとめる意識は、「仏壇と神棚」のある家庭に濃厚であることが見いだされた。民俗信仰のレベルで言えば、仏壇は先述の「オカゲ」、神棚は「タタリ」の観念に相当する宗教的象徴である。こうした宗教的象徴や儀礼の存在が人びとの霊的安寧(Spiritual Well-Being)に正の影響を及ぼしているといえよう。

●スピリチュアリティ研究 ところで、人間の経験の中には広く「宗教的」というラベルを与えることのできるものが少なくはない。それは、芸術的なスリル、達成感、人間の尊厳の感情、幸福感、高揚感、共感性、士気の高揚、精神的健康、楽観主義、性的な恍惚感、自然との一体感、サイケデリックな薬物によって得られる体験など広義の宗教性に関連する概念である(Moberg,1971)。宗教性に関する研究は、1990年代後半から2000年代にかけて「スピリチュアリティ」(Spirituality)という用語をキーワードにして行われるようになり、心理学にとどまらず、多種多様な領域、文脈で言及されるようになっている(中村,2007)。

 スピリチュアリティ研究の流れを一言でまとめるならば、それは宗教経験、宗教意識の研究史でもある。他方で、1960年代以降、Well-Beingの概念が心理学領域を中心として注目を集めるようになる。人の生活(人生)の質(quality of life:QOL)を理解するには、社会-経済的指標だけでは不十分であることが次第に明らかにされていった(Bradburn,1969; Gurin, Veroff & Feld,1960)。そこから、主観的幸福感(Subjective Well-Being:SWB)あるいはQOL研究としてのスピリチュアリティの重要性が指摘されるようになった(Ellison,1983)。これが現在にもつながる第2の研究の流れである。

第3は1990年代以降、医療・保健分野におけるスピリチュアリティに関する議論が活性化して、病者や終末期の患者にとっての生の意味と目的という文脈でスピリチュアリティをとらえようとする流れである(安藤・結城・佐々木,2001)。それに呼応するように、わが国でもスピリチュアルケア研究がメインストリームになっている(今村・河・萱間・水野・大塚・村田,2002; 村田,2003)。

●宗教性の負の側面 こうした研究はいずれも、『人間はいかに善く生きるべきか』について示唆を与えるものであるが、他方で「何か精神的なもの」や「解脱・悟り」を求める人々が破壊的カルトに取り込まれていったという現実にも目を向ける必要がある。それは1つには、既存の宗教の霊的支援力が弱体化した結果でもあり、物質的、経済的豊かさの中に生きる人々の精神的支柱の欠如、生きる力の喪失、そして実存的な空虚感を埋め合わせる場が社会システムの中に用意されていないなどの原因を推測することができる。今後、精神的な豊かさを求める人々に、医療、福祉、教育といった社会システムがどのように整備されていく必要があるのか、さらなる検討課題が残されている。[中村雅彦]

■参考文献:

[1]金児曉嗣(1997) 日本人の宗教性:オカゲとタタリの社会心理学 新曜社

[2]安藤治・湯浅泰雄編(2007) スピリチュアリティの心理学:心の時代の学問を求めて せせらぎ出版

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スピ系学会色々

今年度の日本スピリチュアルケア学会の案内が届いたので、お知らせする。

http://www.spiritual-care.jp/

ここに示されているように、11月の連休に神戸で開催される。

ところが、同じ時期に、僕はJATPの学術大会に呼ばれているので、参加できない。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/jatp/

こちらのHPにはいずれ詳細が公表されることになると思う。

さらに、JATPと同時開催で人体科学会も開催される。

http://www.smbs.gr.jp/main/

同じ日に3つもやるか?

身体は1つしかないので、今年度はJATPに絞って参加してみることにする。

ていうか、ぶっちゃけ金欠だし(学会費払っていないところが、このうち2箇所もある)。

JATPについては、本当なら愛媛で引き受ける予定だったので、その辺は心理的な負債感=負い目があるので、しっかり貢献したいと思っている。

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