今日が何の日か知らない人々が増えていると思うけど、私にとっては決して忘れられない日である。
母のことについて、振り返っておこう。母は京都生まれの広島育ち。生後6ヶ月で養女に出され、少年院の院長をしていた祖父と祖母のもとで育った。
1945年、13歳の時、広島で被爆。原子爆弾が投下された日には、海田市の兵器製造工場で「勤労奉仕」をしていたため、被爆の難は免れたが、祖父は少年院の朝礼中にあの閃光と熱線、放射線、爆風をもろに浴びて急性放射線障害で8月16日に他界。
最期の言葉は「これじゃ、犬死じゃのう」だったという。
原子爆弾の投下から1週間後、母は広島の実家に戻った。そこで残留放射線被曝を受けているので、被爆者手帳は申請して持っている。母が被爆者だという理由だけで、私は小学生の時に差別を受けたこともある。平和教育の一環として、学校で母が自分の体験をカミングアウトしたことがきっかけだった。見事にいじめのターゲットにされた。
祖母はその日、自宅にいたがやはり爆風で家を焼かれ、一時失明(解離状態になったのだろう)していたという。
爆心地付近は地獄絵図で、無数の死体が折り重なり、太田川には水を求めて彷徨う人々が殺到し、次々に死んでいった光景を母は目撃している。まさに生き地獄だったという。
死体を片付ける暇もなく、母が祖母に会いに広島市内に入ったときには、死体から火の玉(リン)がいっぱい出て燃えているのを見たという。
このように、母は複雑な環境で育ち、その後広島を離れて、京都の福知山の電話交換手の仕事をしていた頃に、同じく福知山駅に勤務していた父と知り合い、結婚した。うちは親兄弟はもとより、親戚全員がJRファミリーなのである。
昔の母の写真を見たことがあるが、そりゃ美女だった。1950年代の女優の雰囲気。京女に弱かった父の野獣性がくすぐられたのであろう。(たぶん渡来系弥生人の末裔だと思うけど)
私は、この親の元に1958年に生まれた。父の転勤に伴い、私はなついていた母の祖父母の元に預けられ、祖父も大阪の高槻に異動したたため、私はこの祖父母の元で幼稚園に入るまで一緒に暮らした。
父母はとても軽い気持ちで私を預けたようだ。弟も生まれて生活が苦しかったこともあり、祖母が私をとても可愛がってくれたので、そのまま預けてもいいと思ったらしい。
ところが、そのような状況が、私にとっては「親」がだれなのか混乱する状況が作られるきっかけになった。私にしてみたら、物心ついたときの親は、祖父母だったのである。
そこによく知らない女の人が、時々やってきて、祖父母が出かけていないときに一緒にいる。「このひと、誰?」って感じ。
しかも、この女性は気まぐれで、天使にも悪魔にもなる。わたしがなついたら天使、ぐずったときは悪魔。
祖父母が旅行などでいないときに、母が高槻の家に泊まりでやってきて、よく知らない弟の方を可愛がる。わたしが寂しくなって、泣いたら「泣くんじゃない」と言って、坂本九の「Sukiyaki(上を向いて歩こう)」を覚えろと言う。耳元でさんざん歌って聴かされたので、覚えてしまった。だから、悲しくなったときには天を見上げる癖もついた。
http://www.sakamoto-kyu.com/
いまだに、坂本九のSukiyakiを聴くと今でも無性に悲しくなる。
私は小さい頃からとても強情で、意地っ張り、頑固な子どもだったという。こうだと思ったらてこでも動かない。いやなものはいや。やるといったら、絶対に実行して、欲しいものは必ず手に入れる。
自分の意志、信念を絶対に曲げるようなことはしない。
これも、父母のDNAのなせる業かと思う。いいのか、悪いのか分からないが。数週間後には父方のDNA分析の結果が出ると通知が来ているので、謎が解明されると思うけどね。
ま、親自体が悲惨なトラウマを持っているので、仕方がないと思う面もある。
私は、神や仏を自分の親のように信じることはできるが、人を信じられない。基本的信頼感が確立されていないのだろう。そして、実際、人の気持ちは移ろいやすく、突然豹変する。裏切りや寝返りは当たり前の世界でやってきた。
人の愛や人の温もりというものが十分に分かっていない。だから、自分は愛を研究するようになった。
今、ようやく「受け入れてくれる」、「受けとめてくれる」存在がどんなものか、ちょっぴり体験的に理解できるようになった。生きている人間よりも目には見えない次元での慈悲や慈愛を感じられるようになった。
広島で亡くなった祖父は、今は京都のお寺に永代供養に出されている。でも、たとえ、血のつながりがなくても、64年前の出来事は親から散々聞かされて焼きついているし、広島に住んでいる母の親戚からも、幾度となく悲惨な体験について子どもの頃から聞かされた。謹んで冥福を祈る。今日がその日だ。
戦は勝者も敗者もない。どちらにも傷は残る。少なくとも、この国が64年の長きにわたって、戦に巻き込まれなかったことを幸いと感じ、今後も戦に出ていかないことを心より願う。
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